|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 街 : [まち] 【名詞】 1. (1) town 2. (2) street 3. road ・ 街道 : [かいどう] 【名詞】 1. highway
鯖街道(さばかいどう)は、若狭国などの小浜藩領内(おおむね現在の嶺南に該当)と京都を結ぶ街道の総称である。主に魚介類を京都へ運搬するための物流ルートであったが、その中でも特に鯖が多かったことから、近年になって鯖街道と呼ばれるようになった。 == 概要 == 狭義では現在の小浜市から若狭町三宅を経由して京都市左京区に至る「若狭街道」を指し、おおむね国道27号や国道367号に相当する〔向笠千恵子『食の街道を行く』平凡社新書 2010年 p.13〕。ただし、往時の若狭街道は現在の国道367号ではなく大見尾根を経由する山道であったほか、それぞれの国道ではバイパス道路が建設されているため旧道(指定解除)となっている区間もあるため必ずしも一致しない。広義では現在の嶺南から京都を結んだ街道全てを鯖街道と呼ぶ(後述)。 鉄道や自動車が普及する以前の時代には、若狭湾で取れたサバは徒歩で京都に運ばれた。生サバを塩でしめて京都まで運ぶとちょうど良い塩加減になり〔、京都の庶民を中心に重宝されたといわれている〔八瀬はなだ 「鯖街道」- つかこうへい『鯖街道』 〕。夏期は運び手が多く、冬期は寒冷な峠を越えることから運び手は少なかったといわれる〔。しかし、冬に針畑峠を越えて運ばれた鯖は寒さと塩で身をひきしめられて、特に美味であったとされている〔。運び人の中には冬の峠越えのさなかに命を落とす者もいた〔。 鯖街道によって、サバだけでなく多くの種類の海産物なども運ばれた。平城宮の跡や、奈良県明日香村の都の跡で発掘された木簡からは、若狭からタイの寿司など10種類ほどの海産物が運ばれたと推定され、鯖街道の起源は1200年以上、あるいは約1300年前と考えられている〔。また、現在の橿原市にある藤原宮跡から出土した木簡には塩の荷札が多数見つかり、鯖街道を利用して塩も多く運ばれたとみられている〔。 現代においても、小浜や国道367号沿線などには鯖寿司の製造を生業とした店が多数存在する。 2015年(平成27年)4月24日、文化庁は日本遺産の最初の18件の一つとして「海と都をつなぐ若狭の往来文化遺産群 ~御食国若狭と鯖街道~」を選んだと発表した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「鯖街道」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|