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10.8決戦(じゅってんはちけっせん)は、1994年10月8日に日本の愛知県名古屋市中川区のナゴヤ球場で行われた、日本プロ野球セントラル・リーグ(以下「セ・リーグ」)の中日ドラゴンズ(以下、「中日」)対読売ジャイアンツ(以下、「巨人」)第26回戦を指す通称である。 日本プロ野球史上初めて、リーグ戦(公式戦・レギュラーシーズン)の勝率が同率首位で並んだチーム同士が、最終戦で直接対戦する優勝決定戦となり、巨人が勝利しリーグ優勝を果たした〔関係者から見たこの試合の位置づけについて、川相は、自著『明日への送りバント』で「日本シリーズでの第7戦とはまた意味合いの違う(中略)。ここで破れれば、129試合、なんのために気持ちを切らさずにがんばってきたのかわからなくなります」と述べている。〕。後述するとおり、日本社会の広い範囲から注目された事象である〔 電通は、『広告景気年表:1994年 』の「世相・風俗 (1994) 」において、「プロ野球を中心にスポーツ界に話題が集まる」として、イチローの210安打、巨人の「日本一」と並んでこの試合を取り上げている。〕。 == 「決戦」に至る経緯 == === 最終戦の日程決定 === ''この節の記載内容詳細については、1994年の野球#ペナントレースを参照'' 1994年当時、セ・リーグ公式戦は各チーム26回戦総当りの130試合制で行われていた〔セントラル・リーグを参照。〕。 同年の巨人は序盤から首位を快走していたが、8月25日から9月3日にかけて8連敗するなどして失速〔8月30日の中日戦でマジックナンバーが消滅。9月11日の広島戦で再点灯したが、9月23日の横浜戦で再び消滅した。〕。対照的に中日には優勝経験のある星野仙一を翌季監督に復帰させるプランが球団内部で台頭していたことから、前年2位で迎えた同年もAクラス(リーグ6球団中、上位3位以内)を維持していたシーズン中にもかかわらず、当時の監督である高木守道に「来季の契約をしない」旨を内示していた。これで却って、監督・選手ともに「最後の花道を優勝で飾ろう」と一丸となって巻き返しに出た〔『週刊ベースボール』1995年1月2,9日号2094号 p.36 - 高木監督は、「(8月に)会社から(解任を言われた)時点で『よし、このまま終わってたまるか』と」と述べている。『ベースボール・レコードブック 1995』p.12 - も参照。〕。9月18日から10月2日にかけては9連勝を記録し、試合終了時間の関係で「単独首位」の形となったこともあるなど、巨人を猛然と追い上げた。なお、同監督の去就については、#高木監督留任決定を参照。 9月30日に同リーグは、9月29日に中止されていた両チームの第26回戦を10月8日(土曜日)に組み込むことを含めた「追加日程」を発表し、ここに「10.8」の試合が日程上登場したことから、この事象が始まった〔10月1日付読売新聞18面 縮刷版p.18〕。この時点で巨人と中日は、66勝59敗0分(残り5試合)で並んでいた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「10.8決戦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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