|
ドイツ国鉄52形蒸気機関車(ドイツこくてつ52がたじょうききかんしゃ)は、ドイツ国鉄の戦時設計蒸気機関車である。開発計画名に由来する「戦時蒸気機関車(Kriegslok)」の名で知られる。 == 概要 == 1936年にドイツ第三帝国政府によって策定された「戦時蒸気機関車計画」に従い、50形(1939年)を皮切りに、簡素な構造の戦時量産仕様かつ軽軸重の貨物機関車が量産されることになった。 もっとも、本格的な計画始動は戦略物資の希少化が進み、また逼迫した物資輸送を支えるため大型の機関車が切実に必要とされるようになった1942年に入ってからで、50形を簡素化した50UK形〔UKはÜbergangskriegsの略で、戦時移行型を意味する。〕をさらに簡素化した試作1号車 (52 001) が同年に製作され、さらに同機の試験走行の結果を反映した試作2号機 (52 002) が追加製作され、これの設計が52形 (Baureihe 52) 蒸気機関車として制式採用された。 その本格量産は1944年に開始された。本形式の量産に当たっては、ドイツ国鉄の制式機関車を手がけていたドイツ帝国領内の有力機関車メーカー各社が総動員され、随時改良を加えながら生産数30,000両を目標とした当初計画に従って継続的に生産された。 もっともドイツの敗戦により、実際にドイツ国鉄向けとして完成した数は6,248両〔この数字については諸説が存在するが、その多くは6,300両前後としている。いずれにせよ、その数は日本の国鉄が保有した蒸気機関車総数の最大値を上回る。〕に留まっている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ドイツ国鉄52形蒸気機関車」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 DRB Class 52 」があります。 スポンサード リンク
|