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DUCATI ( リダイレクト:ドゥカティ ) : ウィキペディア日本語版
ドゥカティ

ドゥカティ()とは、イタリアボローニャを拠点とするオートバイメーカー・販売会社である。アウディは2012年4月にドゥカティを買収した。〔VW's Audi buys Ducati to expand brand portfolio reuters.com. Retrieved 2012-06-27.〕
以前はドカティとも表記された。1952年まで製造していたカメラのメーカーとしては一般的にデュカティと表記される。日本の自動車検査証には以前「ドカテイ」と「ドゥカティ」の2種類の車名コードが存在したが、2013年以降はドゥカティに一本化された〔ドゥカティ-ドゥカティ車名コード統一のご案内 2013年3月28日 2013年7月30日閲覧。〕。
== 概要 ==

=== 創業からオートバイ製造まで ===

ドゥカーティの一族は古代ローマ帝国まで遡る由緒あるイタリアの名家であり、ボローニャを拠点としルネサンス期から医学や技術の面で優れた人材を輩出した〔『クラシックカメラ専科No.43、Viva!イタリア コンタレックスのすべて』pp.66-69。〕。アントーニオ・カヴァリエリ・ドゥカーティは1880年頃から水力学と鉄道関係の発明家、技術家として工場を経営していた〔。水力は発電機と密接な関わりがあり、ここから電機関連事業へと参入した〔。
アントーニオの息子アドリアーノ・カヴァリエーリ・ドゥカーティ()は電気に深い関心を持ち、グリエルモ・マルコーニの影響を受けて1924年にはアメリカ合衆国との交信に成功、無線通信や放送事業に大きな将来性を見い出し、1925年に兄弟のブルーノ・ドゥカーティ()、マルチェルロ・ドゥカーティ()とともに「ソチエタ・シエンティフィカ・ラディオ・ドゥカーティ」()を設立、1926年には「ソチエタ・シエンティフィカ・ラディオ・ブレヴェッティ・ドゥカーティ」()と改名した〔。巨大な工場をボローニャミラノに建設、高品質な電子部品の大量生産に成功、1939年には従業員7000人の大企業へと成長した〔。赤いドゥカーティのマークをつけたコンデンサーは時折古いイタリア電気製品の中に発見できる〔。この当時、アイントホーフェンの小さな電球製造工場だったフィリップスから招かれて技術協力を約束、その後ドゥカーティの後押しでこの工場は世界最大の電気メーカーへの道を歩むことになった〔。
当初はラジオ無線の部品製造会社であったが、当時イタリアはベニート・ムッソリーニの政策により急速に工業化を進めており、また新しい技術に意欲的だった〔ドゥカーティ兄弟は1935年にインターホン〔、1939年に電気蓄音機ラジオ〔、1940年に電気シェーバー〔、1941年に16mmフィルム映写機〔、1942年には電動計算機〔、と次々に新製品を発売した。この他にもカール・ツァイスのパテントでレンズ、眼鏡〔、双眼鏡〔、オーディオアンプ〔、自転車〔と広い範囲の製品を販売した。
しかし第二次世界大戦により大きな被害を受け、産業復興公社(IRI)の支援を受けることとなった。
ちょうどその頃トリノにあったシアタは原動機付き自転車クッチョロ(、子犬の意)を発売してベストセラーとなっており、エンジンのOEM生産先を探していた。その事情を産業復興公社が知ってドゥカティを紹介し、1946年ドゥカティでエンジンを生産することになる。ドゥカティは1947年には販売権を獲得し、改良しつつ総計25万台以上を販売した。当時はピアジオベスパイノチェンティランブレッタがライバルで、優秀さをアピールするためレースに出場するようになった。
産業復興公社の元でドゥカティは「マイクロカメラ・ドゥカーティ」の製造を手掛けた。発売時期に関しては諸説あり、早い説では『メイド・イン・イタリー』など1938年とする記述もある〔。『ドゥカーティ・ストーリー』中には1940年頃ベルギー支社がブリュッセルの見本市に出した展示の写真の中にカメラらしきものが写っているというが試作品の可能性もある〔。マラヴォルティは『イタリアカメラ』中で1946年としている〔。ジェームズ・マッケオンの本は1950年頃とする〔〔ただしこの本は「戦前にこの会社が存在していた証拠はない」と断言している。〕。ソーニョシンプレックスが知られ、どちらも一般的なカメラと逆で「カメラを構えて左手側」が巻き上げノブである。しかし過去にファシスト党政権に協力したとして市場でボイコットを受け1950年代初めに写真部門を閉鎖〔『クラシックカメラ専科No.43、Viva!イタリア コンタレックスのすべて』p.20。〕、結果今日では珍品としてマニアに人気があり高価に取引されている。
会社が発展したため、1953年創立からの分野である通信機器部門とオートバイ部門の2つに会社が分割された。なお通信機器部門もドゥカティ・エネルジア として今日も存在するが、現在のオートバイメーカーとしてのドゥカティとの関係はなくなっている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ドゥカティ」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Ducati 」があります。




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