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フジファブリックは、日本のロックバンド。ソニー・ミュージックアーティスツ所属。略称は「フジ」、「フジファブ」など。 == メンバー == === 現メンバー === *金澤ダイスケ(かなざわ だいすけ、1980年2月9日 - ) - キーボード、コーラス : 茨城県久慈郡大子町出身。 : 学生時代は吹奏楽部部長であり、「サーファーキドリツアー」にて『Surfer King』のトランペットパートを演奏した〔FAB BOX - FAB MOVIES Disc1:LIVE映像集 & Disc2:DOCUMENT映像集〕。 : 顎関節症を患っていたが、2006年10月に無事に手術を終える〔そのため、手術後に行われた新宿ロフトでのライブでは金澤を除いた4人編成でライブを行った(2006年10月15日付の「志村日記」より)。〕。手術中はキース・ジャレットの『The Meldy At Night With You』をかけていたという〔金澤ダイスケ×後藤正文 〕。 : 『タモリ倶楽部』の名物コーナー「空耳アワー」の大ファンで自ら投稿。2009年2月12日の放送で採用される。その際「金澤ダイスケ(フジファブリック キーボード担当)さん」と紹介され、アリシア・キーズの曲「ハートバーン」の空耳で空耳Tシャツを獲得する。このTシャツは、後に同年に行われたバンドのライブでも着用していた〔フジファブリック @ 赤坂BLITZ 2009年3月26日付 RO69〕。その後の空耳アワード2009前編(2009年4月3日)でも、このシーンが再放送された。 : 小学校中学年頃に妹がピアノ教室に通うのに便乗する形でピアノを習い始める〔金澤ダイスケ×後藤正文 〕。元々はギタリスト志望であったが、中学時代にテレビですかんちのキーボーディストである小川文明のプレイを見たことがキッカケでキーボードを始めた〔 : 2010年 - 2011年にかけて行われたASIAN KUNG-FU GENERATIONのツアーではサポートメンバーも務めた。同バンドのボーカルである後藤正文からは、「実際に彼がこのツアーに参加していなかった場合のことを思うと、少し恐ろしい。そのくらい重要な役割を担ってくれている。」などと評されていた〔「kocorono」 2011年2月15日付 Vo.ゴッチの日記 〕。 *加藤慎一(かとう しんいち、1980年8月2日 - ) - ベース、コーラス : 石川県金沢市出身。 : かつてつるの剛士のバンド、太陽の衝動に参加していた。AMEMIYAの「冷やし中華はじめました」のレコーディングにも参加している。 : インディーズ時代から現在まで、ライブやアーティスト写真などでは帽子を着用していることが殆どである。太陽の衝動に在籍していた頃は、帽子を着けずスキンヘッド姿でライブに出ていたこともある。 : 志村在籍時に「熊の惑星」の作曲を手がけ、3人体制になってからも「アイランド」などの作曲を担当。作詞でも、「会いに」で初の作詞を担当してからは、メンバーとの共作を中心に作詞をする機会が増えている。 : 2010年に行われたライブ「フジファブリック presents フジフジ富士Q」でくるりがゲストボーカルとして出演した際、岸田繁からの指名でベースではなくギターを担当していた。 : 現在は不明であるが、2004年頃に元ナンバーガールの中尾憲太郎からベースアンプを借りていたことがある〔2004年4月27日付 「志村日記」より〕。 *山内総一郎(やまうち そういちろう、1981年10月25日 - ) - ボーカル、ギター : 大阪府茨木市出身。B型。メンバーで唯一関西弁を話す〔。 : 初期は赤いストラトキャスターを主に使用していた。「地平線を越えて」「蒼い鳥」「ペダル」ではダブルネックギターのギブソン・EDS-1275を使用する。デビュー5周年ツアーではジャズマスターをメインで使用し、半音下げの楽曲ではテレキャスター・カスタムを使用した。 :志村在籍時の第4期 - 5期に製作された「水飴と綿飴」、「スパイダーとバレリーナ」、「Cheese Burger」、「記念写真」、「B.O.I.P.」、「まばたき」は彼の作曲したものである。3人体制となってからは多くの作曲を手がけるようになった。 :「会いに」、「Mirror」ではボーカルを務めており、アルバム「STAR」以降リードボーカルを担当している。 : 小学校5年生から高校入学直前までサッカー一筋だったといい、中学時代には大阪の中学生からの選抜で、アメリカへの短期留学も経験している〔Young Mate Music Player 2011年11月号「DEAR MY PARTNERS」より〕。高校に入る直前からギターを始め、同時期に地元で組んでいたバンド「行侍」では、TEENS' MUSIC FESTIVALや心斎橋クラブクアトロのステージに立つという実績を持ち、10代の頃から既にレコーディングで東京に上京していたという〔。 : フジファブリックに加入する前はスタジオミュージシャンとして、中野督夫のソロアルバムのレコーディングや、湯川トーベンのライブのサポートメンバーなどで活動していた〔。湯川トーベンから誘われて、彼の娘である湯川潮音のライブに参加したのと同時期に、バンドの現マネージャーからもフジファブリックのライブに誘われ〔、後に加入した。彼がライブのサポートをしていた湯川潮音には、「逆上がりの国」という楽曲を提供している(作曲のみ)。 : ギター以外にも、ベース、ピアノ(オルガン)、マリンバ、バンジョー、チェロ、グロッケンシュピールなどの楽器を所有し〔、主にレコーディングなどで使用している。作曲ではこれらの楽器を使用することもあり、本人は「多くの弦楽器の経験はすべてギターに還元される、ヒントになるというか。」と発言している〔。 : 2010年からの一時期にくるり、斉藤和義のサポートメンバーも務めていた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フジファブリック」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Fujifabric 」があります。 スポンサード リンク
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