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ショーン・マイケルズ(''Shawn Michaels''、1965年7月22日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラー。アリゾナ州チャンドラー生まれ、テキサス州サンアントニオ出身。身長186cm、体重102kg。左利き。本名はマイケル・ショーン・ヒッケンボトム(''Michael Shawn Hickenbottom'')。 1990年代から2000年代を代表するWWEのスーパースター。1988年から2度目の引退をした2010年まで、約20年以上WWEに在籍した。プロレスラーとして卓越した技術と圧倒的なカリスマ性、ド派手なパフォーマンスなどで絶大な人気を誇り、ベビーフェイスとヒール、シングルとタッグの両方で活躍した。ハートブレイク・キッド(''The Heart Break Kid''、略称HBK)、ショーストッパー=ショーの主役(The Showstopper)、ボーイ・トーイ(Boy Toy)、セクシー・ボーイ(Sexy Boy)、アイコン(The Icon)、メイン・イベンター(The Main Eventer)、ミスター・レッスルマニア(Mr. WrestleMania)など多くの異名を持つ。最終所属はWWEのRAW。 == 来歴 == === NWA〜AWA === 18歳の頃にホセ・ロザリオに師事し、1984年10月16日に地元サンアントニオ地区のテキサス・オールスター・レスリングにてアート・クルーズを相手にデビュー。ポール・ダイヤモンドとのタッグチーム「アメリカン・フォース」でキャリアを積み、海外武者修行中だった冬木弘道と川田利明の「ジャパニーズ・フォース」(後のフットルース)との抗争も行われた。 1985年、中西部のミズーリ州やカンザス州をサーキット・エリアとするNWAセントラル・ステーツ地区においてマーティ・ジャネッティとミッドナイト・ロッカーズ を結成し、セントラル・ステーツ・タッグ王座を獲得。その後ダラス地区などを転戦し、1986年にAWAに移籍(AWAでは当初「USエクスプレス」と名乗るプランもあった)。翌1987年1月、バディ・ローズ&ダグ・サマーズを破りAWA世界タッグ王座を獲得した(この試合は日本でも当時『世界のプロレス』にて放送され、「悲願のタイトル奪取」と報じられた)。 同年夏にWWFと契約するが、ナイトクラブでの乱闘事件が元でわずか2週間で解雇される〔『ピュア・ダイナマイト - ダイナマイト・キッド自伝』P197(2001年、エンターブレイン)ISBN 4-7577-0639-1〕。その後、ミッドナイト・ロッカーズはAWAに戻り、1987年12月にデニス・コンドリーとランディ・ローズの"オリジナル" ミッドナイト・エクスプレスを下し再びAWA世界タッグ王座を獲得〔。なお、当時のAWAには後にマネージャーを務めるシェリー・マーテルや、後世に語り継がれる名勝負を残すことになるスコット・ホールも在籍していた。1987年の下期はジェリー・ジャレットとジェリー・ローラーが主宰するテネシー州メンフィスのCWAにも参戦し、AWA南部タッグ王座を2度に渡って獲得している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ショーン・マイケルズ」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Shawn Michaels 」があります。 スポンサード リンク
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