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IS-7()は、1944年から1948年にかけて開発された、ソ連の重戦車である。 日本語文献においては英語やドイツ語の表記に従ってJS-7と表記されることもある。「IS/JS」とはヨシフ・スターリン (Iossif Stalin/Joseph Stalin) のイニシャルであり、そのためスターリン7型重戦車などと呼称されることもある。 *本文中においては表記は「IS」として統一する。 本車の重量68トンは、ソビエトの開発・製造した戦車の中では最も重いものである。 == 概要 == IS-7はドイツのティーガーIIに対抗するべく構想された重戦車である。1945年初頭、ニコライ・シャシムーリン技師の設計チームによりオブイェークト260として開発が開始された。 本車の開発にあたっての特徴としては、主砲や機関に海軍関連の技術が転用されていることで、これは独ソ戦の劈頭からドイツ軍に包囲されていたレニングラードが1944年1月に解囲されたため、レニングラードにあった海軍研究所の各種技術資料を利用することが可能となったためである。 まず1945年に車体が設計され、これに基づいて木製の実物大模型を試作した。1946年夏に車体と砲塔が製作され、9月には試作1号車が完成した。 試作車は1948年夏までに4輌が生産され、工場でのテストでは優秀な成績を収めた。火力・防御力は優秀であり、またテスト段階での機動性も高かったが、70トン近い大重量は駆動系統に掛かる負荷が大きく、試験中にエンジン火災の事故を起こした。また足周りの構造が脆く、転輪内部の緩衝用ゴムの摩耗が激しく、転輪が1、2組破損するだけで行動不能となった。これらの欠点から重量を50トン程度に軽減するよう、設計の見直しが命じられた。 更に、大きな車体と砲塔のわりには車内が狭く、主砲の装填作業が困難であり、多数が搭載された外装式機銃は戦闘中の予備弾装填が難しい、という問題が指摘された。 これを受けて実用化のための改良と試験が続けられたが問題点の改善は達成できず、IS-7の実用化計画は放棄された。 IS-7は現在でも試作車のうち1両がモスクワ郊外のクビンカ軍事博物館に展示されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「IS-7」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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