|
萩野 純一郎(はぎの じゅんいちろう、1970年10月2日 - 2007年10月29日)は、日本の計算機科学者・プログラマー。博士(工学)。慶應義塾大学理工学研究科博士課程修了。 伊藤 純一郎として出生したが、1998年12月22日に萩野に改姓した。改姓前からのニックネームである「itojun(いとぢゅん)」をその後も一貫して用いており、こちらのほうが本名以上に著名である。BSD系OSでのIPv6実装プロジェクトであるKAMEプロジェクトの中心メンバーとして活躍した。その他、テキストエディタnviの多言語版であるnvi-m17nや、プレゼンテーションソフトMagicpointの作者としても知られる。また、ソニーコンピュータサイエンス研究所在籍中には、自己反映オブジェクト指向オペレーティングシステムApertosの開発に従事し、その成果は後にAIBOなどでも活用されている。 中学生の頃からプログラミングを続けており、IPv6の開発に携わり始めてからは非常に生産性の高いプログラマーとして国際的に認知されていた。まるで6人の人間が同時に作業しているようだとも評されていた。 遅咲きライダーであり、ドゥカティを駆り、後年にはNチビを入手し、レース参加に対する強い意欲を示していた。エンジニア系ライダー仲間の間では努力家として評価されている。 2007年10月29日夜に逝去した。享年38(満37歳)である。 2009年からIETFでは、IPv6の開発・普及・展開へ尽力した者に対して、萩野の遺族や友人の寄付を運営資金とする「Itojun賞(Itojun Service Award)」〔Itojun Service Award - Internet Society〕〔Itojun Service Award、ISOCに設置 - WIDEプロジェクト〕が設けられた。 == 略歴 == * 1993年3月 慶應義塾大学理工学部電気工学科卒業 * 1993年4月-1996年10月6日 ソニーコンピュータサイエンス研究所 * 1995年3月 慶應義塾大学理工学研究科計算機科学専攻 前期博士課程修了 * 1998年3月 慶應義塾大学理工学研究科計算機科学専攻 後期博士課程修了。博士(工学)論文名は 「オブジェクト指向オペレ-ティングシステムのための最適化技法に関する研究」 * 1998年4月-2007年9月30日インターネットイニシアティブ技術研究所 * 2003年3月17日-2005年3月11日 インターネットアーキテクチャ委員会メンバー * 2004年3月- WIDEプロジェクトボードメンバー * 2007年10月11日 - 2007年11月22日に日本工学院八王子キャンパスで講演する事が決定。 * 2007年10月29日 - 死去。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「萩野純一郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|