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K-POP(ケイ・ポップ)は、1980年代末に「コリアンポップス」、「大韓POPS」と呼ばれた概念で、大韓民国(Korea)の大衆音楽。 == 「K-POP」の語源と定義 == 1980年代後半より日本国内のポピュラー音楽に「J-POP」という語が使われ始めことに影響を受け、1990年代中ごろから、日本国内における比較語として韓国のポピュラー音楽を指して「K-POP」という語が使われるようになった。 なお、韓国では自国の大衆音楽のことは専ら「カヨ(、歌謡)」と呼び、海外向けのプロモーションでのみ「K-POP」の語を使う。韓国では別の意味を指す「K-POPS」という表記や、固有名詞として「K-POP」という名のアイドルグループも存在し、紛らわしいためである。 韓国の演歌ともいえるトロットを歌う歌手は基本的にK-POP(カヨ)アーティストには含まれない。しかしチャン・ユンジョンなどの現代の若手トロット歌手をK-POPアーティストのとして位置付ける場合もあり、この定義には未だに揺れがあるといえる。 日本を除く東アジアにおいては1990年代よりチャートの上位にK-POPアーティストが進出するようになったが、2000年代に入り上位をほぼ独占する国(タイ、シンガポール)が出るなど定着が目覚ましい。日本ではバブル崩壊後の1990年代にはまだ日本を視野に入れて活動をする韓国人アーティストも少なく、ほとんどが単発的であった。2000年代になるとエイベックスとSMエンターテインメントの業務提携による韓国人アーティストの出現と、2004年の韓国テレビドラマ『冬のソナタ』をきっかけとした韓流ドラマや、それらに伴う主題歌と主演俳優が後押ししていった。2000年代後半ごろからは、作品とその俳優とその俳優の別の作品とその撮影地、あるいは主題歌とその歌手とその歌手の別の作品とそのコンサートいう具合に、韓流への探求はどんどん派生し、日本をビジネスチャンスとする韓国アーティストが増えていった。 また2010年代に入るとアメリカやヨーロッパなど世界の音楽シーンの中心を占める地域にもK-POPが進出しはじめ、その最たる例としてPSYの江南スタイルがあげられる。江南スタイルは当時流行していたEDMと呼ばれる先進的な音楽性を取り入れつつ、乗馬ダンスとも称される独特のダンスをPVで全面に押し出し、「オバマ大統領とトムクルーズ以外の全てのアメリカ人が真似をした」とワシントンポストが報道するほどの社会的なブームとなった。アジア発の楽曲がアメリカにおいて熱烈に受け入れられるのは坂本九上を向いて歩こう以降二度目であった。またKARAや東方神起などはアジアにおけるスターのアイコン的な存在として欧米などの西側諸国で受け入れられており、現在は経済規模でまさる日本発のJ-POPよりもK-POPの方が世界的な認知度が高い状況が続いている。これらの現象は決して一過性のものではなく、国を挙げて海外にK-POPを輸出していこうとする政策やサムスン電子のGalaxyなど韓国製の先端電子機器などのイメージとも相まって、非英語圏の人口5000万人規模の国としては異例の存在感を維持していると言え、また韓国という国家自体のイメージアップにも繋がっている側面がある〔다큐처럼 일하고 예능처럼 신나게〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「K-POP」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 K-pop 」があります。 スポンサード リンク
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