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KANSAS : ミニ英和和英辞書
KANSAS

【州名】カンザス州(米国中部の州, 州都Topeka) 《略語》KS


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Kansas : 【州名】カンザス州(米国中部の州, 州都Topeka) 《略語》KS
KANSAS ( リダイレクト:カンザス州 ) : ウィキペディア日本語版
カンザス州[かんざすしゅう]

カンザス州()は、アメリカ合衆国の中西部に位置するである〔http://www.census.gov/geo/www/us_regdiv.pdf〕。ネブラスカ州オクラホマ州コロラド州ミズーリ州と隣接する。
グレートプレーンズ(大平原地帯)の真っ只中にあって土地が平坦であり、耕作や酪農に適しているため農業の生産性が高く、また牧畜業が盛んである。その反面、地形の変化に乏しく、州全体に単調な田園風景が延々と広がっている。
州都トピカ市であり、州最大の町はウィチタ市、次いでカンザス市オーバーランドパーク市州都トピカ市と続く。
カンザスシティーは、「オズの魔法使い」で、主人公のドロシーの故郷として登場することでも知られる。また、昔からカンザス州はアメリカにおける田舎の代名詞になっており、この作品でもドロシーがカンザス出身ということで馬鹿にされる場面がある。マイケル・サンデルハーバード大学の公開講義において、「余生をカンザスで農業をして暮らさなければならないとしたらその代償はいくらに値するか」という大恐慌時代に行った調査に対して、当時の人々が30万ドルに値すると答えた事例を示して、カンザスの農村を魅力に乏しくもっとも住みたくない鄙びた地域の典型として挙げている〔Justice: What's The Right Thing To Do? Episode 02: "PUTTING A PRICE TAG ON LIFE" 〕。ほかにも、スーパーマンが幼少期~青年期を過ごした「スモールビル」も、ここカンザス州にあるとされている。
「カンザス」は、この地に先住したインディアン部族のカンサ族に由来し〔John Koontz, p.c.〕、州内を流れるカンザス川に名付けられていたものが州名になった。部族名「カンサ」は「風の民」あるいは「南風の民」を意味しているが、この言葉の元々の意味するところとは異なっている可能性がある〔Rankin, Robert. 2005. "Quapaw." In ''Native Languages of the Southeastern United States'', eds. Heather K. Hardy and Janine Scancarelli. Lincoln:University of Nebraska Press, pg. 492〕〔Connelley, William E. 1918. ''Indians ''. A Standard History of Kansas and Kansans, ch. 10, vol. 1〕。

==歴史==
:''主要記事:カンザス州の歴史''
現在のカンザス州となっている地域には、1000年以上にわたってインディアンが住んでいた(ミシシッピ文化)。この地に最初に足を踏み入れたヨーロッパ人は、1541年の探検家フランシスコ・バスケス・デ・コロナドだった(コロナド遠征隊)。
1803年、現在のカンザス州の大半はルイジアナ買収の一部としてアメリカ合衆国の領土になった。しかし、州南西部はスペイン、続いてメキシコ、さらにテキサス共和国の一部である時代が続き、1848年に米墨戦争の終結によってアメリカ合衆国の領土になった。1812年から1821年まではミズーリ準州の一部になっていた。カンザスを横切るサンタフェ・トレイルでは、1821年から1880年まで、ミズーリ州から工業製品が、現在のニューメキシコ州サンタフェからは銀と毛皮が運ばれた。この道のプレーリー地域では荷車の轍が現在も見られる。
1827年レブンワース砦が白人アメリカ人の最初の恒久的開拓地になった。1854年5月30日に制定されたカンザス・ネブラスカ法で、ネブラスカ準州カンザス準州が設立され、白人開拓者に広大な土地が開放された。この時のカンザス準州は西の大陸分水界まで伸びており、現在のコロラド州デンバーコロラドスプリングスプエブロがある地域が含まれていた。
ミズーリ州とアーカンソー州からはカンザスの東部境界にそって開拓者を送り出した。これらの開拓者は奴隷制度を州内に広げるために住民投票を支配しようとした。続いて州内に入ってきたのは、マサチューセッツ州など自由州からの奴隷制度廃止運動側開拓者であり、隣接するミズーリ州から奴隷制度が拡大されてくるのを止めようとした。これら開拓者が武力で衝突し、「血を流すカンザス」と呼ばれるようになる小競り合いの時代が続いた。これは南北戦争の前哨戦になった。
1861年1月29日、カンザスはアメリカ合衆国34番目の州として、奴隷を持たない自由州になった。この時点までに州内の暴力事件はほとんど沈静していた。しかし、南北戦争中の1863年8月21日ウィリアム・クァントリルが数百人の男を率いてローレンス市を襲い、市街地の大半を破壊し、200人近い人々を殺した(ローレンスの虐殺)。クァントリルは、アメリカ連合国軍からも、ミズーリ州議会が任命したゲリラ的レンジャー部隊からも厳しく批判された。クァントリルはこれら部隊への任官を申請したが、戦前の犯罪記録があったために宜も無くはねつけられた〔Jones, ''Gray Ghosts and Rebel Riders'' Holt & Co. 1956, p. 76〕。
南北戦争後、多くの退役兵がカンザスに農場を造った。多くのアフリカ系アメリカ人もカンザスを奴隷制度廃止運動家「ジョン・ブラウン」の土地とみなし、のような解放奴隷に導かれて、州内に黒人社会の建設を始めた。彼らは1870年代に人種差別が激しくなりつつあった南部を離れ、〔、集団移動の意〕と呼ばれるようになった。
これと同時期に(サンアントニオからの通じているアビリーンまでの牛道)が開通してロングドライブが始まり、カンザスでも西部開拓時代が始まった。ワイルド・ビル・ヒコックはで副保安官、ヘイズアビリーンでは連邦保安官を務めた。1872年にはアッチソン・トピカ・アンド・サンタフェ鉄道ドッジシティまで開通し、カンザス・パシフィック鉄道と家畜輸送を巡る競争が始まった。ドッジシティも荒々しいカウボーイの町であり、バット・マスターソンワイアット・アープが町の法執行者として働いた。テキサス州から追われてきた牛が1年間に800万頭もドッジシティで汽車に乗せられ、東部へ運ばれた。ドッジシティは「牛の町の女王」という渾名を貰った。
カウボーイによる暴力行為に対処するためもあり、カンザス州は1881年2月19日にアルコール飲料を全て禁止する憲法修正案を採択した最初の州になった。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Kansas 」があります。




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