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ラデュレ(Ladurée)とは、1862年創業のフランスパリのパティスリー。マカロン・パリジャンの発祥のお店〔フィガロジャポン編集部『パリのお菓子』阪急コミュニケーションズ〈フィガロブックス〉、2010年9月、pp34-36。ISBN 978-4484102276〕〔。 == 概要 == 1862年、フランス南西部で製粉業を営んでいたルイ=エルネスト・ラデュレ(Louis Ernest Ladurée)が、当時新興ビジネス街として栄え、フランス屈指の高級職人たちが拠点としたパリのマドレーヌ界隈にあるロワイヤル店通り16番地にブランジェリーを開いた事から始まる。 1871年に火災が起き〔ラデュレ公式HP(日本語):メゾン・ラデュレの歴史 、2009年ルーヴル美術館展(国立西洋美術館) ルーヴル美術館展コラボレーション 、ルーヴル美術館展トピック2009年3月18日 、火災は5月28日のパリ・コミューン崩壊争乱による。〕、ブランジェリーはパティスリーへと生まれ変わった。内装はオペラ・ガルニエの天井画などを手がけた有名なポスター作家、ジュール・シェレ(Jules Cheret)に託させた。シェレがロワイヤル店の天井に描いた「パティシエ天使」はその後、ラデュレを象徴する存在となる〔。 ルイ=エルネスト・ラデュレの妻、ジャーヌ・スシャールは、パリのカフェとパティスリーという2つの異なるジャンルをミックスさせることを思いつき、女性たちが自由に来ることの出来るパリで最初のサロン・ド・テが誕生した〔ラデュレ公式HP(日本語):メゾン・ラデュレの歴史 〕。 20世紀半ばに、ルイ=エルネスト・ラデュレの従弟ピエール・デフォンテーヌが2つのマカロンの間にガナッシュ(クリーム)を挟むことを提案した。「マカロン・パリジャン」の始まりである〔ラデュレ公式HP(日本語):ラデュレのマカロンの歴史 〕〔。以来、当時の作り方がそのまま守り続けられている。 1993年、(David Holder)と、パン屋チェーンのオルデー・グループ(Groupe Holder)の創設者である父フランシス・オルデーと、息子で元パン職人兼パティシエ見習いのダヴィッド・オルデーはラデュレを買収し、息子がラデュレの社長となる。 1997年9月、アベニューであるシャンゼリゼ通り75番地にラデュレ・シャンゼリゼをオープンさせた。ナポレオン三世様式の特徴である古い時代の大理石や浮き彫り装飾、2階にある高価な調度品で飾られた一続きの小さなサロンなど、 « L’art de vivre à la française »(フランス流美しき生活)を象徴する場所となる。 現在ではフランスを始め、イギリス、日本、イタリア、レバノン、アメリカなど、国際的に展開している〔ラデュレ公式HP(日本語):ラデュレショップ 〕。各店舗は「御婦人方が寛いでお喋りを嗜んでいた昔の談話サロン」をイメージして内装が施されており、19世紀当時の内装を活かしている「ラデュレ・ロワイヤル」と「ラデュレ・ジュネーブ」の他は現代インテリアデザイナーがイメージテーマに添って担当している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ラデュレ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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