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国立アメリカ・インディアン博物館(こくりつアメリカ・インディアンはくぶつかん、英語名National Museum of the American Indian)は、アメリカ合衆国首都ワシントンD.C.の中心部ナショナル・モールに位置する、アメリカインディアン民族の文化資料博物館の名称。英語の頭文字をとり、NMAIと略されることがある。 == 概要 == ワシントンD.C.のナショナル・モールにあるこの「国立アメリカ・インディアン博物館」は、1989年にアメリカ合衆国議会法を経て建設が開始された。しかしジョージ・H・W・ブッシュ政権が当館の建設費1億ドルのうち、3分の2しか資金調達しなかったため、スミソニアン協会は残りの建設費を捻出するため、1991年1月に前代未聞の募金呼びかけを行った。同協会は新聞各紙に次のような全面広告を載せた〔『chicago tribune』(「George Bush has always liked to find things he has in...」By Michael Kilian,1991,1,16.〕。 :「コロンブスを発見した人たちから、新しい博物館についてのお知らせ。 一般市民の皆さんと、『その他(のお金持ち)』の皆さんに、20ドルから1,000ドルまで、寄付金を求めます。」 『その他(のお金持ち)』の寄付はほとんどなかったが、多数の有名人が募金運動に協力した。億万長者のデイビッド・ロックフェラーとドナルド・ケンドールの他に、ロバート・レッドフォード、ゴールディ・ホーン、クリー・サマーやキャロル・オコナー、マイケル・ドリス、ペギー・カフリッツ、サージェント・シュライバー、元世界銀行総裁のバーバー・コナブルらの有名人、インディアンの個人からは、ルイーズ・アードリック、スコット・モマディ、スーザン・ショーン・ハルジョ、アラン・パーカー、ビリー・ミルズ、ジョン・エコーホーク、ラドンナ・ハリスらが名を連ね、募金を呼びかけた。前年にインディアンを題材にした映画『ダンス・ウィズ・ウルブズ』を大ヒットさせたケビン・コスナーは、この映画の収益の大部分を当館の基金に寄付している。 こうして建設基金をなんとか調達して、当館は2004年9月21日に無事開館した。工事着工から実に15年の歳月をかけて建立されたこの博物館は、インディアンにのみ独占的に的を絞ったアメリカ合衆国最初の国立博物館となった。 博物館は西半球における原住民アメリカ・インディアン達のくらし、言語、文学、歴史および芸術などの生活に関連した文化を収める施設であり、スミソニアン協会によって管轄、運営されている。また、同博物館はスミソニアン博物館群で最も新しい16番目の博物館である。 この博物館はほかに、ニューヨーク市にある「ジョージ・グスタフ・ヘイ・センター」や、メリーランド州スートランドにある「文化資源センター」の2つの施設を併設している。これらも全てスミソニアン協会の管轄下にある。開館時間は午前10時から午後5時30分まで。クリスマスを除き年中無休である。入り口では簡単な手荷物検査が行われる。ミュージアムショップやカフェテリアも充実。車椅子での来館や手話を必要とする来館者にも不便にならないよう設備が設けられている。 5階建、約23,000㎡の全フロア面積、滑らかな曲線で構成される建物は、黄金色のカソタ石灰岩で覆われており、それは幾千年もの時を経て風や水により形作られた自然の岩層を再現している。博物館自体は17,200㎡の面積を持ち、アメリカ東部地方の湿地を再現した庭園で囲まれている。博物館東側の正面玄関には、現代インディアン風のプリズム式の窓と高さ37mに及ぶ吹き抜けとなっていて、これはインディアンたちと直接の打ち合わせによるものである。ニューヨーク市のマンハッタン南部にある「ヘイ・センター」と同様に、フィルムやビデオの上映、学校団体および公的なプログラム、生活文化の展示が場内一杯に、一年を通して行われている。 博物館の建築計画とデザインはカナダのオンタリオ州オタワ出身の建築家、ダグラス・カーディナル(ブラックフット族)で、設計自体はアメリカ合衆国ペンシルベニア州フィラデルフィアにある建築会社「GBQC」の建築家であるジョンポール・ジョーンズ(チェロキー族、チョクトー族)が手掛けた。ダグラスのデザインによって開始された計画だったが、建設中に意見の相違があり、ダグラスはこの企画から降りているが、その後も建造物のデザインはダグラスの意図を保ち、継続的にダグラスのアドバイスを受けることで完成に至っている。 博物館の建設自体は、シアトルの「ジョーンズ&ジョーンズ建設株式会社」と「景観設計株式会社」、ワシントンD.C.の「スミス・グループ」と付き合いのある「ネイティブ・アメリカン・デザイン・コラボレーティブ」のルー・ウェラー(カドー族)が行った。デザイン顧問としては、ニューヨーク市の「ポルシェック・パートナーズ建築会社」からラモーナ・サキエステワ(ホピ族)とダナ・ハウス(ナバホ族・オナイダ族)が参加している。景観設計はシアトルの「ジョーンズ&ジョーンズ建設会社」と「景観設計株式会社」、バージニア州アレクサンドリアの「EDAW社」が行った。 全般にアメリカインディアンが博物館のデザイン指導や作業を担い、ヨーロッパにある美術館や白人アメリカ文化とは違う、インディアン文化に馴染むものであるよう意図されている。景観設計を指導したナバホ族・オナイダ族の植物学者であるドナ・ハウスは、「景観は建物の中へと流れ込むようになっていて、私たち自身がその環境になっています。私たちは木であり、岩であり、水なのです。そしてそれはこの博物館の一部であるべきなのです。」と述べている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「国立アメリカ・インディアン博物館」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 National Museum of the American Indian 」があります。 スポンサード リンク
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