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ニュー・ワールド・オーダー(''New World Order'')は、かつてアメリカ合衆国のプロレス団体「WCW」と「WWF」、日本のプロレス団体「新日本プロレス」に登場したプロレスラーのユニット。略称はnWo(エヌ・ダブリュー・オー)。アメリカでは「nWo Tシャツ」を着た人が街中に溢れ、社会現象にまでなった。 == 概要 == === WCW時代 === 1996年発足。結成当初のオリジナル・メンバーはハルク・ホーガン、スコット・ホール、ケビン・ナッシュ。 WWFよりホールとナッシュが引き抜かれ、5月27日に「WWFからの侵略者」としてホール、翌週にナッシュがマンデー・ナイトロに登場した。7月7日、PPVバッシュ・アット・ザ・ビーチでWCW正規軍のスティング&レックス・ルガー&ランディ・サベージvsアウトサイダーズ(スコット・ホール&ケビン・ナッシュ)、第3のメンバーは謎のまま試合が始まった。試合が混沌とし始めた中にハルク・ホーガンが登場。WCW正規軍を助けるのかと思いきや、リングインするなりサベージに必殺技のレッグドロップを放ちアウトサイダースに加勢。試合は無効試合となり、ホーガンが「これがニュー・ワールド・オーダー(新世界の秩序)だ。お前たち観客に媚びるのは止めた。お前たちはゴミだ!」などとマイクアピール。翌日のナイトロより、黒と白をテーマカラーとしたヒール軍団「nWo」が結成された。ストーリー上の設定はユニットではなく、WCWに敵対する「新団体」ということになっていた(これはエリック・ビショフ副社長が新日本プロレスとUWFインターナショナルの抗争を参考にしたためとされる)。 アウトサイダーズという名前は、自分達が名乗った名前ではなく、WWF在籍時のリングネームはスコット・ホールがレーザー・ラモン、ケビン・ナッシュがディーゼルという名前であったが、WCWに登場時には、そのリングネームがつかえないために『彼ら』という呼ばれ方をしており、その後、『WCW=インサイダー』VS『彼ら=アウトサイダー』という図式が生まれチーム名となっていった(ニュー・ワールド・オーダーとは、ジョージ・W・ブッシュが演説の中で使用した言葉から引用された)。 メンバーの係わる試合には必ず乱入し、倒した相手の背中に黒のスプレーで「nWo」と書くなど数々の暴挙を行う。8月10日にはホーガンがザ・ジャイアントを下してWCW王座を強奪、ベルトにもスプレーでnWoの文字を書いた。 眼を付けた選手に対してはメンバーTシャツを渡して勧誘。その他数々の斬新なコンセプトでヒールでありながら非常に高い人気を誇った。その後ランディ・サベージやザ・ジャイアントなどの元々WCWに在籍していたレスラーやWCW副社長であるエリック・ビショフ、NBA選手のデニス・ロッドマンまでもが加わり、プロレス界の一大ムーブメントとなった。あくまで団体という設定だったためにnWo主催の自主興行も行われている。nWoブームにより当時WCWとWWFで繰り広げられていたマンデー・ナイト・ウォーズでWWFを圧倒。一時はWWFを倒産寸前にまで追い込んだ。 WCWではWWEのビンス・マクマホンのような絶対的なボスが存在せず、選手の統制が全く取れていない組織だった。そのためヤラレ役をやらされない人気ユニットのnWoに入りたがる選手が続出し、nWoは20人近い大所帯となった。 1998年にnWo結成当初から続くホーガンとスティングの直接対決で、スティングがベルト奪取した事により、対立ストーリーが終了する。その後は、ホーガンとナッシュの不仲ストーリーが進展。アウトサイダーズのスコット・ホールはホーガン派となりチームは解散、ナッシュはコナンと脱退。その後レックス・ルガーが加入し、スティング、ランディ・サベージ等メンバーも増員しnWoウルフパック(''nWo Wolfpac'')という赤と黒を基調にしたnWoが分裂誕生した。残ったメンバーはホーガンを中心としたnWoハリウッド(''nWo Hollywood'')となり、スコット・スタイナー等の新規メンバーも加入した。この頃からWCWのストーリーのマンネリ化と、WWFのアティテュード路線などにより徐々にマンデー・ナイト・ウォーズにおいて劣勢になる。 1999年1月に二つのnWoが合流、二軍nWoブラック&ホワイトも誕生したがしばらくしてストーリーから姿を消す。しかしビンス・ルッソーにより同年末にnWo2000として復活。しかしながら長続きはせず2000年には消滅し、その後復活することはなく2001年3月のWCW消滅を迎えた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ニュー・ワールド・オーダー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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