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OPS-24
OPS-24は、三菱電機製の3次元レーダー。世界初の艦載用アクティブ・フェーズドアレイ(AESA)レーダーであり、海上自衛隊の汎用護衛艦(DD)において、対空捜索レーダーとして搭載される。 なお、本機を含めた海上自衛隊の電子機器の型番はアメリカ軍の軍用電子機器の命名規則におおむね基づいているが、一文字目のみは、米軍式では「S」がつけられるべきところを、「お船」(Ofune)ないし「艦載用」(On Board)を捩った「O」とされている。本機の場合は、水上船舶搭載のレーダー、探知用/距離方位測定用/捜索用ということになる。 == 来歴 == 防衛庁技術研究本部第1研究所第4部レーダー研究室〔昭和62年度の組織改編で第2研究所に移管された。また、第2研究所は平成18年度の組織改編で電子装備研究所に改称した〕では、三菱電機〔三菱電機(MELCO)社は、空自の3次元レーダーであるJ/FPS-1、海自の2次元対空捜索レーダーであるOPS-11の主製作社であった〕と共同で1967年よりアクティブ素子の研究を進めており、昭和43年度には予算も認可され〔、昭和46年度には初の実験機である「電子走査アクティブ空中線装置」(Xバンド、64素子によるリニアアレイ)が試作された。また、当時、空中早期警戒機(AEW)の国産化に向けてSバンドの機上捜索レーダーの開発が検討されていたことから、昭和47年度から48年度にかけて、トラバット・ダイオード発振機を採用して周波数帯をSバンドに移した「新方式レーダ(その1)」(64素子によるリニアアレイ)の研究試作が行われた。1974年、この試作装置を第1研究所の屋上に設置して、成田国際空港を発着する航空機を目標とした探知実験が行われ、連続的な探知・追尾に成功した。これは日本国内はもとより世界的に見ても初の成果であった。 昭和50-51年度にかけて「新方式レーダ(その2)」(Xバンド、208素子によるプレーナアレイ)が順次に研究試作された。そして昭和54年度からは、航空自衛隊のレーダーサイトで運用されていたJ/FPS-1の後継となる3次元レーダーに関して、東芝、日本電気〔日本電気(NEC)社は、パッシブ・フェーズドアレイ・レーダーである空自用のJ/FPS-2、海自用のOPS-12の主制作社であった〕、三菱電機の参加・協力の下、技術研究本部によって部内研究が始まった。昭和58年度から昭和61年度にかけて開発が行われ、1983年11月には試作機の製作会社が三菱電機に決定した。これによって製作されたXJ/FPS-3は1987年7月より航空実験団(現:航空開発実験集団)電子実験隊において実用試験に入った。実用機であるJ/FPS-3は、平成3年度、日本初のアクティブ・フェーズドアレイ・レーダー(AESA)として制式化された。 一方、海上自衛隊では、汎用護衛艦(DD)向けの対空レーダーとしてOPS-14を採用していた。これは信頼性や艦隊行動時の性能には問題がなかったものの、単独行動時の対空警戒性能としては不安が残るものであった。J/FPS-3の情報を得た海上幕僚監部は、技術的可能性と開発リスクや予算を考慮して、同機をもとにすれば、DD用3次元レーダーとして実現可能性が高いという結論に達した〔〕。これに応じて、J/FPS-3の主製作社である三菱電機が海上自衛隊向けの艦載AESAとして開発したのが本機である。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「OPS-24」の詳細全文を読む
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