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T-13戦車駆逐車(T-13 tank destroyer)は、1930年代、ベルギーにおいて開発され、第二次世界大戦初頭に使われた対戦車自走砲である。イギリスのヴィッカース・アームストロング社製の装軌式軽牽引車をベース車体として、ベルギー製の47mmFRC 32年型対戦車砲を搭載、各形式合わせて200両以上が生産された。 == 開発と生産 == ベルギーは1930年代半ば、イギリスからヴィッカース=アームストロング社製の軽ドラゴンMk.I (ヴィッカース=カーデン・ロイド 1934年型砲兵トラクター(Vickers Carden-Loyd 1934 Artillery Tractor)とも)を56両輸入した。軽ドラゴンは同社のカーデン・ロイド軽戦車系列の足回りを利用した装軌式の砲牽引車で、ドラゴンの名は「drag gun(砲を引っ張る)」に引っかけたもの。調達はアルデンヌ猟兵師団向けに、75mm榴弾砲の牽引を目的としたものだったが、部隊では全輪駆動の装輪式牽引車を選択したため、これらの車両は余剰となった。 これが、歩兵部隊の対戦車火器の主力、47mm対戦車砲の有効な運搬手段を探していた軍機械化委員会の目に留まり、自走砲化が行われることになった。 開発された自走砲は、車体はほぼ軽ドラゴンMk.I のままで、操縦席以降はオープントップ、車体中央に、前半部だけに装甲を持ち、後半は素通しの砲塔が置かれた。操縦席前面・側面には、可倒式の装甲板が取り付けられた。 砲は後ろ向きが標準位置で、一応、全周回転は可能だったが、前に向けた場合は操縦席回りの装甲板を倒さねばならなかった。 各歩兵・騎兵部隊に行き渡らせるには、もともとの50数両では不足していたため、1936年、ベルギーのファミユルー製作所(Ateliers de Construction de Familleureux)はヴィッカース=アームストロング社から、より新型の軽ドラゴンMk.IIC(軽ドラゴンMk.IIB の輸出仕様とも)のライセンス生産権を取得した。 Mk.IICをベースに生産されたT-13は、車体上部をほぼ新設計とする、より本格的な改装が行われた。車体は操縦席も含めて上面が密閉され、砲塔も後面のみ開放式で前向きが標準、装甲もわずかに厚くなった。Mk.IIC はMk.I に比べエンジンも強化されていたため、この新型のT-13(T-13 B3)は不整地走行能力・最高速度もそれ以前の型(T-13 B1、B2)を上回っていた。 生産はドイツの侵攻によりベルギーが陥落するまで続けられた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「T-13」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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