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第41戦闘攻撃飛行隊(だい41せんとうこうげきひこうたい、Strike Fighter Squadron Forty one)はアメリカ海軍の戦闘攻撃飛行隊。ニックネームはブラックエイセス。VFA-41と表記される事が多い。1981年のシドラ湾事件においてリビア軍機2機を撃墜したことで有名。 == 隊史 == === 創設 - 1980年 === 第41戦闘攻撃飛行隊(以下VFA-41)は1950年9月1日に第41戦闘飛行隊(VF-41)としてNASオシアナでF4Uコルセア装備の飛行隊として創設された。 1953年にF2Hバンシーに機種変更し、空母インディペンデンスに搭載されて地中海および極東に展開した。 1959年にはF3Hデーモンに機種変更し、全天候戦闘能力を獲得した。しかし、1962年2月にはF-4ファントムに機種変更したため、F3Hを運用したのはわずか3年であった。同年10月に発生したキューバ危機に際してはNASキーウェストに展開、有事の際には迅速に出撃できる体制をとっていた。 ベトナム戦争時にはインディペンデンスに搭載されて1965年5月からトンキン湾に展開、11月まで爆撃・偵察隊エスコート、対空砲火制圧などの任務に就いた。この7ヶ月間の活動でインディペンデンスとVF-41が所属する第7空母航空団(CVW-7)は海軍部隊栄誉賞を受賞している。 1973年には第四次中東戦争後の平和維持軍の一員として中東に展開した。その後、1976年にF-14トムキャットに機種変更し、空母ニミッツに展開、VF-84とコンビを組むこととなった。 1979年11月4日に発生したイランアメリカ大使館人質事件に際しては、翌年4月に決行された人質救出作戦(イーグルクロー作戦)に使用する航空機の輸送をニミッツが行ったため、VF-41を始めとする第8空母航空団(CVW-8)は海上で144日間を過ごした。これは、第二次世界大戦後に部隊が基地に帰還せずに活動した最長記録である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「第41戦闘攻撃飛行隊 (アメリカ海軍)」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 VFA-41 」があります。 スポンサード リンク
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