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プロレスリングZERO1(プロレスリング・ゼロワン)は、日本のプロレス団体。運営はファースト・オン・ステージ。 プロレスリングZERO1は、ファースト・オン・ステージの手がける最も代表的な事業主体であり、ZERO1自体は会社ではない。過去にはビッグマウス・ラウド、CHICK FIGHTS SUNがファースト・オン・ステージ傘下の事業として存在した。なお橋本真也が2001年1月25日に設立した団体は、同じ読み方で「プロレスリングZERO-ONE(プロレスリング・ゼロ-ワン)」という表記であり、現在のZERO1は、ZERO-ONEの団体崩壊後の後継団体として発足したが団体、企業として全くの別である。 == 概要 == 2004年11月、プロレスリングZERO-ONE の活動停止に伴い、橋本真也、明石鯛我、レフェリーの村山大値を除く選手(後に坂田亘、葛西純が離脱した)、スタッフにより、ZERO-ONEを引き継ぐ形でプロレスリングZERO1-MAX(プロレスリング・ゼロワン-マックス)を設立。2005年5月1日付けでそれまで専属フリー契約だった選手を正式所属させ、一体感を強めた。 ZERO-ONE末期に社長代行として出現した正体不明の人物「オスカー・デイビット」がGMの地位にある。なおオスカー・デイビットの正体はスティーブ・コリノ説が有力。これはAWAスーパースターズ・オブ・レスリング(以下AWAスーパースターズ)の王座(旗揚げ戦で大森隆男が戴冠)の使用許可やアメリカでの渉外活動はコリノが行っているためである。 2006年6月1日付で元新日本プロレス社長の草間政一がハッスルGM(ギミックであり実際の役職は無いに等しい)を経て本団体の属するAWAスーパースターズの日本支部長に就任した。これは設定上の地位であるもののプロレス業界に未練のある草間がファースト・オン・ステージのフロント入りを希望し、中村祥之社長(当時)の「営業に専念して仕事の負担を減らしたい」という思惑と一致、即フロント入りとする訳にはいかないのでとりあえず取締役的地位に就任させ、その手腕を試す期間を設けるためであったと思われる。草間は「火祭り」の開会宣言を「草間ガニア政一」という名前にて行った(ガニアとはAWAの帝王バーン・ガニアからの引用とされる)。 2006年8月、キングスロードを吸収合併し、9月にはビッグマウス・ラウドを事実上の傘下に収めている。 2006年10月、ZERO1-MAXの女子プロレス部門「プロレスリングSUN」を旗揚げし、ZERO1-MAXの地方興行に参加している。 2007年5月末をもって草間がAWAスーパースターズの日本支部長を退き、6月1日付でハワイにある提携団体HCWのリンダ会長が就任した。これをもって草間との関係は一切無くなることとなり公式ブログにも登場しなくなった。同年末にはコリノの引退表明に伴いAWAスーパースターズとの関係自体が解消された。 2009年1月1日をもってプロレスリングZERO1-MAXからプロレスリングZERO1に団体名を変更。 2012年にはプロレスリングZERO1-USAを皮切りに世界各地にZERO1ネットワークを拡大している。 2014年から新体制に移行するとともに団体名変更の可能性も示唆したが、ファンの反対もあり見送られた〔元旦より新体制で再スタート 2013年12月17日閲覧〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ZERO1」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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