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アウティング (、))はゲイやレズビアン、バイセクシャル、トランスジェンダー(LGBT)などに対して、本人の了解を得ずに、公にしていない性的指向や性自認を暴露する行動のこと。アウティングはプライバシー問題、選択の自由の侵害問題などを引き起こし、さらにホモフォビアや異性愛中心主義(ヘテロセクシズム、en)解消の取組みにまつわる共通善(en)議論の火付け役ともなる。 アウティング報道の標的になるのは、社会における著名人 政治家や一流のアスリート、人気のあるアーティストなどである。LGBTの権利に反対する人々(en)もLGBTコミュニティの運動家も、かつて議論のあった政治運動やその戦略においてはこの種のアウティングの類を行っていた。 ==アウティングの歴史== 現代における「アウティング」の言葉の始まりを明確に示すのは難しい。1982年に出版されたアメリカの雑誌『ハーパースマガジン』(en)においてテイラー・ブランチ(en)が「"outage"(停止)という政治戦略がクローゼット(同性愛を隠した状態)の人々に集中砲火の罠を掛けるだろう」と予測し「アウティング」に近い概念の言葉を使っている。1990年1月29日号の『タイム (雑誌)』にて評論家ウィリアム・A・ヘンリー3世(en)が 「Forcing Gays like Mike Howes Out of the Closet」(マイク・ホーズのようにクローゼットを出されるゲイ達)という記事を執筆し、一般社会に「アウティング」という言葉を広めた。(Johansson&Percy, p. 4) 「アウティング」という言葉は現代のものだが、言葉の意味する行動自体は昔から存在している。ギリシャやローマでは演説者を民衆がこき下ろす手段であった。 キリスト教が広まる前の時代、ソドミーはローマ法下のギリシャでは非法行為ではなかったという説があるが、市民階級の間での同性愛行為は限られた社会状況下でのみ認められていたと考えられている。ローマ人もギリシャ人も「品のない後ろめたい行為」だとせせら笑うような状態であったとされる。 1907年から1909年にかけてのハルデン=オイレンブルク事件は、20世紀で最初の一般にアウティングされたスキャンダルであった。 ヴィルヘルム2世 (ドイツ皇帝)の施策に反対する左派ジャーナリストマクシミリアン・ハルデン(en)による貴族の外交官フィリップ・ツー・オイレンブルクの告発に始まり、皇帝の庇護を受けた人物や仲間の中から著名人数名のアウティングを行い、皇帝自身についても暗にほのめかした。ハルデンの告発は、ギリシャスタイルの少年愛を支持するゲイ向けジャーナル誌『デア・アイゲネ』(en)の創始者アドルフ・ブラント(en)など他のジャーナリストへ告発に続くよう煽り立てた。1930年代初頭にアドルフ・ヒトラー側近のエルンスト・レームを左派ジャーナリストがアウティングし、ブラントが後に「教師、聖職者、議員や指導的政治家の誰かが、品位を落とす行いで他人の性愛を毀損しようとするとき、その瞬間に彼らの性生活も個人的な問題ではなくなり、市民監視や疑わしい行動の監視によって今後保護された現在の地位に留まる資格も失う」と記すきっかけを作り出した〔Brand, Adolph. ''Political Criminals: A Word About the Röhm Case'' (1931) Reprinted in ''Homosexuality and Male Bonding in Pre-Nazi Germany'', edited by Harry Oosterhuis, 235–240. New York, Haworth, 1991.〕。 1950年代に『Confidential』をはじめとした芸能界や政界の著名人のスキャンダルの暴露を専門とするタブロイド紙が登場した。政治家の間でこれらの雑誌のターゲットにされたのは元アメリカ合衆国国務次官のサムナー・ウェルズ〔Benjamin Welles, ''Sumner Welles: FDR's Global Strategist: A Biography'' (NY: St. Martin's Press, 1997),370-1〕や短期間の間アイゼンハワー大統領の面会担当秘書(en)を務めたアーサー・H・ヴァンデンバーグ・Jr(en)がいる 〔''The Papers of Dwight David Eisenhower'', vol. 18 (Johns Hopkins University Press, 1966), "Document 48: Eisenhower To Nelson Aldrich Rockefeller," February 23, 1957, , accessed November 14, 2010〕。 アウティングは時には名誉毀損裁判になることもある。1957年には、同性愛者であることを公言していなかったアメリカのピアニストのリベラーチェがイギリスのタブロイド誌デイリー・ミラーを相手取りゲイをほのめかす記事を掲載したと訴えている。デイリー・ミラーの抗弁は、カッサンドラが書いた当該コラムの言葉はリベラーチェがゲイであるとほのめかしていない、とするものだった。同誌は記事の正確性を立証せず、リベラーチェの訴えが認められた。 1969年のストーンウォールの反乱以降、ゲイ解放運動の活動家は1970年代に積極的にカムアウトをし始め、"Out of the closets, Into the streets!"(クローゼットを出て、街に出よう!)と大声を上げ始めた。彼らの一部は同性愛者全てのカムアウトを求め始め、それを望まぬ人々がいた場合には彼らのコミュニティが説得をする役目を負うことになっていた。 その例の一つにゲイ活動家達によるオリヴァー・シップル(en)(ジェラルド・R・フォード大統領の暗殺を阻止した人物)のアウティングがあり、ゲイの政治家ハーヴェイ・ミルクが彼のアウティングに大きく関与している。 当時の保守的な政治家の一部は一般におけるアウティングと関連した同性愛受容の広がりに反発し、加えて恥ずかしく不名誉なイデオロギーが敵になると危機を抱いた。 保守的なコメンテーター ディネーシュ・デ・ソウザ(en)は1981年に彼が編集していたダートマス大学の大学新聞『The Dartmouth Review』(en)にゲイの友人が書いた手紙を無断で公開している。数年後に著名な論評家ローラ・イングラハム(en)は大学のゲイグループとのミーティングの際に無断で録音を行い、文書化した後に「キャンパスのソドミーを企てるチアリーダー達」とグループを批難する記事の一部に使用した。 1980年代のAIDSの爆発的拡大によって、ロック・ハドソンをはじめとする多くの著名人がアウティングされた。 アメリカの運動家による最初のアウティングが起きたのは1989年2月であった。マイケル・ペトリーズとその賛辞者はアメリカ合衆国上院議員のジェシー・ヘルムズが進めていた法案制定に協力したとして共和党のアメリカ合衆国上院のオレゴン州選出議員マーク・ハットフィールドのアウティングを決めていた。ポートランド近郊の小都市で行われた寄付金集めのパーティーにて、群衆の集まる前でグループはアウティングを行った。ペトリーズはその後アメリカ合衆国議会議事堂の前に立ち、「政治家と音楽家の男女12人、...xxxは隠れゲイだ」と名前を読み上げてニュースにしようという試みに出た。報道機関が集まったが、主要なニュース組織は記事にしなかった。(Gross, p. 85) 名誉毀損の可能性を考慮し、報道は行われなかった。 1989年から1991年にかけて発行された雑誌『OutWeek』は、1990年3月に故人であったマルコム・フォーブスをアウティングしたことで波紋を投じたミケランジェロ・シーナリラ(en)をはじめとしたアウティングの実践主義者が記事を執筆していた。 彼のコラム「Gossip Watch」は富豪や著名人をアウティングすることで人気を得ていた。彼の行動には賛否両論あったが、彼には「現代ゲイのヒーロー」や「不快かつ幼稚で、売名行為だ」といった反応が寄せられた。(Johansson & Percy, p. 183) 他に女優のファニー・フラッグ(en)やNBCの特派員ピート・ウィリアムズ(en)、シェールの子供で人権活動家のチャスティティー・ボノ(en)、俳優のリチャード・チェンバレンなどがアウティングされた。 2004年にLGBTの人権活動家マイケル・ロジャース(en)がバージニア州選出の下院共和党議員のエドワード・シュロック(en)をアウティングした。ロジャースは自分のウェブサイトでシュロックの私生活を暴露する内容を投稿した。シュロックはこの事件について否認をせず、2004年8月30日に再選出馬の辞退をした。ロジャースはアウティングの理由をシュロックの結婚保護法(en)投票における行動と連邦婚姻修正法案(en)の共同提案に署名したことに対しての批難だと主張した。 2004年4月に、ニュージャージー州の州知事ジェームス・マグリーヴィー(en)が自身がゲイであることを公表した。マグリーヴィーは彼の安全保障担当役のゴラン・シペル(en)からセクシャルハラスメントで訴えられた。マグリーヴィーは辞職をしたがシュロックと異なり、公人としての活動を止めなかった。 ジョン・マケインの大統領選キャンペーンでは、2008年にアラバマ検事総長のトロイ・キング(en)がアウティングされた後、キャンペーンのウェブサイトから画像を取り除いた〔McCain's Alabama Chairman Reportedly Outed – Attorney General Troy King Has a Record of Homophobic Rhetoric by Jon Ponder, July 11, 2008〕 。 アウティングが被害者の評判を損ねるとの指摘に対して、人権活動家の一部や米連邦議会議員のバーニー・フランク(en)などはいくつかの事例(LGBTの人権反対に対する個人的な活動など)では妥当で合理的だと異論を唱えている〔THE OUTING | David Dreier and his straight hypocrisy 〕。フランクは2006年のマーク・フォーリーのスキャンダル(en)に触れて言及し、「プライバシーの権利はあると思う。しかしプライバシーの権利は見せかけのための権利であってはならない。他人を悪者扱いしようとする人々には、家(クローゼット)にこもったまま行動をさせてはいけない」と述べた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アウティング」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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