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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
アサヒエンペラーとは、日本生まれの競走馬、種牡馬である。慢性的な脚部不安に悩まされながら大競走で好走を続け、「未完の大器」と呼ばれた。 == 経歴 == 1985年10月の新馬戦で競走馬としてデビュー。1番人気に支持されたものの最下位に敗退した。同馬は慢性的な脚部不安を抱えており、デビュー戦の後に骨膜炎を発症して2か月の休養を余儀なくされた。その後繋靭帯炎も発症し、疾病と戦いながら同年12月の未勝利戦、翌1986年1月の若竹賞を連勝。さらに弥生賞4着、皐月賞3着、NHK杯3着、東京優駿3着と牡馬クラシック戦線で好走を続けた。 東京優駿出走時には症状がかなり悪化しており、調教の様子を見た松山吉三郎(同レースでアサヒエンペラーと対戦したダイナガリバーを管理していた)が「あの脚でダービーに出られるのか」と疑問に感じ、さらにレース前で騎乗した中舘英二が返し馬(本馬場入場後のウォーミングアップ)の時に慌てふためくほどのハ行(歩様の異常)を呈していた。 東京優駿出走後は温泉で療養し、9月に菊花賞トライアルのセントライト記念に出走し2着。しかしレース後に屈腱炎を発症し、菊花賞出走は断念された。温泉治療の結果翌1987年3月に復帰を果たし、翌4月の天皇賞(春)に出走。第4コーナーで2番手につけ直線でも伸びを見せたがゴール前でニシノライデンの斜行によって不利を被り、2着(3位入線だったが2位入線のニシノライデンが失格となったため2着)に敗れた。 天皇賞(春)出走後に脚部を骨折。1年のブランクを経て出走した天皇賞(春)で13着に敗れたのを最後に競走馬を引退し、種牡馬となった。種牡馬としては目立つ成績を上げることができず、1997年に種牡馬を引退した。現在は功労馬管理施設Rolling eggs clubに繋養されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アサヒエンペラー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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