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アト・ボルドン(Ato Jabari Boldon, 1973年12月30日 - )は、トリニダード・トバゴ出身の元陸上競技選手で、「トバゴの弾丸」の異名を持つ。4つのオリンピックのメダルを獲得した。男子短距離走個人種目での4つのメダル獲得は、カール・ルイス、フランク・フレデリクス、ウサイン・ボルトと並んで最多である。 == 経歴 == ポートオブスペインに生まれ、14歳のときアメリカに移り、サッカー選手となった。そこで、彼のスプリントの才能が見出され、1990年代前半にサッカーをやめた。1992年にはバルセロナオリンピックのトリニダード・トバゴ代表に選ばれ、その後世界ジュニア選手権で100mと200mの優勝を果たした。 1995年世界選手権で100mの銅メダルを獲得、これが初めての国際大会でのメダルとなった。1996年のアトランタオリンピックでも、再び100mと200mで銅メダルを獲得している。1997年世界陸上競技選手権大会では200mで優勝している。これは世界選手権でのトリニダード・トバゴ初の優勝であった。1998年、マレーシアのクアラルンプールで行われたコモンウェルスゲームズの100mで9秒88のタイムをマークし、ナミビアのフランク・フレデリクス(9秒96で銀)、バルバドスのオバデレ・トンプソン(10秒00で銅)を抑え、優勝を果たした。 1999年は、100mで9秒86を2回マークするなど好調だったが、故障により世界選手権には参加できなかった。 2000年のシドニーオリンピックでは、100mで銀メダル、200mで銅メダルを獲得した。2001年にエフェドリンの検査で陽性となり、警告を受けたが出場停止処分にはならなかった。ボルドン側は、エフェドリンの摂取は風邪薬によるものだと主張した。2001年世界選手権では100mで4位に入り、4×100mリレーは3位となった。しかし、2005年になってアメリカのティム・モンゴメリのドーピング使用が発覚し、100mの順位が繰り上がって3位となった。 ボルドンはトリニダード・トバゴで8人目のメダリストである。2004年シーズン終了後に現役を引退した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アト・ボルドン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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