|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
アドナン・アル=ケイシー(Adnan Al-Kaissie、1939年3月1日 - )は、イラク・バグダッド出身の元プロレスラー。 インディアン・ギミックのビリー・ホワイト・ウルフ(Billy White Wolf)、アラブ人ギミックのシーク・アドナン・アル=ケイシー(Sheik Adnan Al-Kaissie)などのリングネームを名乗り、アメリカ合衆国の各メジャー団体で活躍した。 == 来歴 == イスラム教のイマームを父に持ち、10代の頃に家族でアメリカのオクラホマ州に移住。州立大学でレスリングの選手となり、1959年にアドナン・ケイシーの名義でプロレスラーとしてデビューする。 その後、インディアン・ギミックのベビーフェイス、ビリー・ホワイト・ウルフに変身。1960年代は太平洋岸北西部のパシフィック・ノースウエスト地区を主戦場に、ハワイやテキサスでも活動。1962年11月21日にはキング・イヤウケアを破り、ハワイ版のNWA USヘビー級王座を獲得。1963年は7月5日にマッドドッグ・バションからNWAパシフィック・ノースウエスト・ヘビー級王座を、9月24日にマーク・ルーインからNWAテキサス・ヘビー級王座をそれぞれ奪取している。 アメリカ国外にも遠征し、オーストラリアでは1967年2月11日にレイ・スティーブンスを下してIWA世界ヘビー級王座を獲得。日本には1964年4月、チーフ・ホワイト・ウルフのリングネームで日本プロレスの第6回ワールドリーグ戦に初来日。1969年1月には国際プロレスに参戦し、1月28日に東京の足立区体育館にて、ビル・ロビンソンのIWA世界ヘビー級王座に挑戦した。 1974年8月、本来の出自であるアラブ人ギミックのシーク・オブ・シークス・オブ・バクダッド(''Sheik of Sheiks Baghdad'')を名乗り、ヒールのポジションで新日本プロレスに登場。フレッド・ブラッシーがマネージメントしていたニコライ・ボルコフとタッグを組み、9月10日に愛知県体育館にて、アントニオ猪木&坂口征二の黄金コンビが保持していた北米タッグ王座に挑戦した。 帰米後はベビーフェイスのビリー・ホワイト・ウルフに戻り、ニューヨークのWWWFでチーフ・ジェイ・ストロンボーとインディアン・タッグを結成。ジ・エクスキューショナーズ(1号=キラー・コワルスキー、2号=ビッグ・ジョン・スタッド)との抗争の末、1976年12月7日にWWWF世界タッグ王座を獲得、翌1977年9月27日にプロフェッサー・タナカ&ミスター・フジに敗れるまでタイトルを保持した。WWWFを離れてからはハワイを主戦場とし、キラー・トーア・カマタやリッパー・コリンズと抗争を展開した。 1981年、アラブ人ヒールのシーク・アドナン・アル=ケイシーに変身してAWAに登場。クラッシャー・ブラックウェルを配下に引き入れ、シーク・スタイルのアヤトーラ・ブラックウェルを名乗らせる。その後、AWAの悪徳マネージャーだったボビー・ヒーナンから「アラブ・マネー」でケン・パテラのマネージメント権を購買し、ブラックウェルのパートナーに起用。自らはプレイング・マネージャーとなって彼らを指揮し、1983年6月から1984年5月までAWA世界タッグ王座に就かせた。以降もマネージャーとしてAWAに定着し、ブルーザー・ブロディやアブドーラ・ザ・ブッチャーなど特別参戦の大物選手も担当。AWA末期の1990年まで、リングサイドに欠かせない存在であり続けた。 1990年下期、AWAでの抗争相手でもあったサージェント・スローターのマネージャーとして、ジェネラル・アドナン(アドナン将軍)を名乗ってWWFに登場。同時期に勃発した湾岸戦争を追い風に「サッダーム・フセインの友人」〔アドナンは実際にバグダッドではフセインと同じ学校に通っており、2006年11月22日にFNCのニュース番組 "Hannity & Colmes" に出演して当時のフセインについて語っている。〕という設定でスローターと共に大ヒールを演じる。後にイラン出身のアイアン・シークもカーネル・ムスタファ(ムスタファ大佐)の名で加わり、ハルク・ホーガンやアルティメット・ウォリアーを相手に「WWF版湾岸戦争」を繰り広げた。 WWF退団後は1994年頃にシカゴのAWFでカウボーイ・ボブ・オートンらのマネージャーを担当〔。近年は居住先のミネソタにて、ケン・パテラと共同でインディー団体 "World All-Star Wrestling Alliance" をプロデュースした〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アドナン・アル=ケイシー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|