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アラ・パキス・アウグスタエ(Ara Pacis Augustae)はパークス(平和の女神)の祭壇で、ラテン語で「アウグストゥスの平和の祭壇」の意。通称はアラ・パキス (Ara Pacis)。紀元前13年7月4日、元老院がヒスパニアとガリアで大勝利を収め帰還するローマ皇帝アウグストゥスの栄誉を称えて製作を依頼し〔''Acts of the Divine Augustus'' 2.2; 8.5.〕、紀元前9年1月30日、アウグストゥスの勝利によってローマ帝国に平和がもたらされたことを祝って元老院が奉献した〔; Samuel Ball Platner.〕。祭壇はローマ市民の宗教観を視覚化したものとされている。また、ローマ帝国の軍事的優位による「パクス・ロマーナ(またはパクス・アウグスタ)」がもたらした平和と繁栄の象徴とされ、それを実際にもたらしたユリウス・クラウディウス朝の記念碑とされた。 == 祭壇 == アラ・パキスは白い大理石で精緻に彫刻された壁に囲まれており、その壁には伝統的なローマの敬虔さを表した場面が描かれており、皇帝とその家族が神々に生贄を捧げている場面が描かれている。生贄として捧げられる家畜も彫刻の中に描かれている。中にはトガをフードのように頭から被った者も描かれている。これは、彼らが聖職者として公式な資格で行動していることを表している。また、月桂冠を被った人物も描かれており、勝利を象徴している。男女や子供たちが全て神々の方向に進もうとしている。市民の平和というテーマはユリウス・クラウディウス朝や文明の力としての宗教の重要性と結びつき、アウグストゥス自身の言によれば、この機会に宗教儀礼を意識的に再生させようとしたという。 この祭壇はアウグストゥス時代の彫刻で現存するものの中でも最も有名で、一般に傑作とされている。その中に描かれている人々はギリシア彫刻によく見られるような理想化したものではなく、実際に当時の有名人に似せて彫刻したものと見られ、今日でも一部の個人名が判っている。 G. Karl Galinsky は、アラ・パキスの彫刻は装飾である前に記号的意味を持ち、図像学的にいくつかの重要な点があると指摘した〔Galinsky, "Venus in a relief of the Ara Pacis Augustae," ''American Journal of Archeology'' 70 (1966:223-243 )〕。アラ・パキスと同様の公開されているローマの記念碑の研究によれば、そのような装飾には伝統的に政治的な意図が象徴的に含まれており、王朝や帝国の方針を強調しているとされている。アラ・パキスは、ジョルジュ・デュメジルが提唱した「三機能仮説」の「主権」・「軍事力」・「生産力」を具現化しているとされている〔Dumézil, ''L'idéologie tripartite des Indo-Européens'' (Brussels 1958), ローマについてのさらなる詳細は ''Jupiter, Mars, Quirinus: essai sur la conception Indo-Européen de la société et les origines de Rome'' (Paris 1941).〕〔デュメジルの仮説をアラ・パキスに詳細に適用した例として次がある。G. Freibergs, C. S. Littleton and U. Strutynski, "Indo-European Tripartition and the Ara Pacis Augustae: An Excursus in Ideological Archeology" ''Numen'' 33.1 (June 1986:3-32).〕。Peter Holliday は、単なる詩的な引喩として扱われていた黄金時代の祭壇を具現化したことが、ローマの一般大衆の多くに強い印象を与えただろうと指摘している〔Holliday, "Time, History, and Ritual on the Ara Pacis Augustae" ''The Art Bulletin'' 72.4 (December 1990:542-557).〕。アラ・パキスは、当時の大衆が恐れていた「歴史は繰り返す」という考え方への対策であり、アウグストゥスの治世によって、当時の歴史観で予言されていた世界の破滅的大変動が回避されることを約束したものだった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アラ・パキス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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