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アレン・ジョンソン(Allen Kenneth Johnson, 1971年3月1日 - )は、アメリカ合衆国の陸上競技選手である。1996年のアトランタオリンピック男子110メートルハードルで金メダルを獲得した。ハードルなぎ倒し男の異名を持ち、倒して通過することを得意としている。彼自身、腿で引っ掛けて倒すことを意識しており、自分は最良の倒し方をしているとも話している。 == 経歴 == ワシントンD.C.に生まれ、ノースカロライナ大学に通っていたジョンソンは万能選手であり、走高跳や走幅跳、十種競技でも専門種目であるハードルに近い実力を持っていた。 1995年から1997年にかけて、ジョンソンは男子110mハードルを席巻する記録を残した。1995年3月の世界室内選手権の60メートルハードルを7秒39の大会新記録(当時)で制すると、その年の世界選手権でも、トニー・ジャレット(イギリス)、ロジャー・キングダム(アメリカ)といった強豪を抑えて優勝した。更に同年、自己記録を12秒98まで伸ばしている。1996年には、6月の全米選手権で当時世界歴代2位となる12秒92をマークすると、地元開催のアトランタオリンピックでも2位に大差をつけ、12秒95のオリンピック新記録(当時)で優勝。8月には2度目の12秒92をマークするなど、この年だけで3度の12秒台を記録した〔当時のシーズン最多記録。現在では世界記録保持者アリエス・メリット(アメリカ)が2012年シーズンに12秒台を8度記録している。〕。1997年には、世界選手権でのコリン・ジャクソン(イギリス、当時の世界記録保持者)との対決が注目されたが、ジョンソンが難なく勝利し、2連覇を達成した。 1999年、2000年には故障に悩まされた。1999年世界選手権では、2次予選4位と辛うじての通過であったが、準決勝を棄権。シドニーオリンピック決勝はハードル全台なぎ倒し、4着でフィニッシュし、メダル獲得を逃した。ハードルを倒した台数には満足したが、結果には不満足であった。 2001年となり、ジョンソン自身の30歳という年齢、アニエル・ガルシア(キューバ)やテレンス・トランメル(アメリカ)といった若手の台頭などから、ジョンソンの限界説が囁かれるようになった。しかし、この年からジョンソンは、かつての強さを取り戻すかのような結果を残している。2001年世界選手権、グッドウィルゲームズでは、ガルシアとの直接対決に続けて勝利した。2003年世界選手権において、2連覇を達成するとともに、世界選手権4回目の優勝を果たした。これにより、グレッグ・フォスター(アメリカ)が保持していた最多優勝回数を上回った。また、世界室内選手権でも2003年、2004年と2連覇。特に2004年大会では、当時33歳にして60メートルハードルで7秒36の自己ベストをマークし、大会記録をも更新した。この快進撃から、アテネオリンピック金メダルの大本命であったが、2次予選でハードルにつまずきフィニッシュできず、決勝へ進めなかった。 2006年、35歳になったジョンソンは、IAAF陸上ワールドカップにおいて、劉翔(中国)、ダイロン・ロブレス(キューバ)らを破り、12秒96を記録して優勝。更に2008年には世界室内選手権で銀メダルを獲得している。ジョンソンは、110メートルハードルにおいて12秒台の記録を11回マークしており、これは史上最多である〔All-time men's best 110m hurdles 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アレン・ジョンソン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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