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アンドレ・レゼンデ・サ(André Rezende Sá, 1977年5月6日 - )は、ブラジル・ベロオリゾンテ出身の男子プロテニス選手。ダブルスの得意な選手として活動し、これまでにATPツアーでダブルス10勝を挙げる。シングルスの優勝はないが、2002年のウィンブルドンで男子シングルスのベスト8進出がある。自己最高ランキングはシングルス55位、ダブルス17位。身長185cm、体重74kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。 == 来歴 == サは兄の勧めで8歳からテニスを始め、ブラジルの12歳以下の部で1位になった後、13歳の時から5年間アメリカ・フロリダ州ブレイデントンにある「ニック・ボロテリー・テニスアカデミー」に留学した。1996年にプロ入りし、1997年に男子テニス国別対抗戦・デビスカップのブラジル代表選手に初選出される。2001年9月、香港大会のダブルスでカルシュテン・ブラーシュ(ドイツ)と組んで男子ツアーダブルス初優勝を果たす。2002年のウィンブルドンで、サは男子シングルスのベスト8に勝ち進んだ。初進出の準々決勝では、地元イギリスのティム・ヘンマンから第2セットを奪い 3-6, 7-5, 4-6, 3-6 (セットカウント1対3)で敗れた。2002年8月12日付で、彼はシングルス自己最高ランキング「55位」に入った。それから男子ツアーダブルスで3度の準優勝と、2004年全豪オープン男子ダブルスでフラビオ・サレッタ(同じブラジルの選手)と組んだベスト8進出があるが、その後しばらく好成績が途絶えていた。 2007年から、アンドレ・サは同じブラジルのマルセロ・メロと組んでダブルス成績を伸ばし始める。サとメロが初めてペアを組んだのは、2006年7月下旬にブラジル国内で開かれたチャレンジャー大会であった。このコンビは2007年4月のエストリル・オープンで初優勝し、サは2001年9月の香港大会以来6年ぶりのツアー2勝目を挙げた。そして、2人の最初のハイライトとなった2007年ウィンブルドンがやってきた。男子ダブルス2回戦で、2人はケビン・ウリエット(ジンバブエ)&ポール・ハンリー(オーストラリア)組と 5-7, 7-6, 4-6, 7-6, 28-26 の長い試合を戦った(第5セットは54ゲームを要し、総計102ゲームの試合を制した)。これで波に乗った2人は、準々決勝で第3シードのダニエル・ネスター(カナダ)&マーク・ノールズ(バハマ)組を 6-4, 6-3, 6-4 のストレートで倒したが、続く準決勝でフランスペアのアルノー・クレマン&ミカエル・ロドラ組に 6-7, 3-6, 3-6 のストレートで敗れ、ここでサとメロのウィンブルドンが終わった。サはウィンブルドンの地で、2002年のシングルス・ベスト8以来5年ぶりの活躍を見せた。2007年のシーズンを最後に、サはシングルスから撤退し、メロとのダブルスに活動を絞るようになった。 2008年、アンドレ・サとマルセロ・メロは男子ツアーのダブルスで年間3勝を挙げ、北京五輪の男子ダブルスにも出場した。ブラジル代表の2人は、2回戦でインドペアのマヘシュ・ブパシ&リーンダー・パエス組に 4-6, 2-6 で敗れた。2009年にはオーストリア・キッツビュール大会で優勝がある。この年を最後にマルセロ・メロとのペアを解消した。 その後はフランコ・フェレイロやステファン・フース、ミハル・メルティナクなどとペアを組んだ。3度目の五輪出場となったロンドン五輪ではトマス・ベルッシと組んだ。1回戦で金メダルを獲得したアメリカのボブとマイクのブライアン兄弟組に 6–7(5), 7–6(5), 3-6 で敗れた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アンドレ・サ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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