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アンドレ・レジボ(André Régibeau, 1917年9月4日 - 1987年2月15日)は、第二次世界大戦期のドイツ陸軍、次いで武装親衛隊に所属したワロン人義勇兵。 第二次世界大戦勃発前はリエージュのベルギー国鉄(SNCB)職員であったが、ナチス・ドイツとソビエト連邦の戦争(独ソ戦)開始後の1941年8月8日、ドイツ軍に所属して共産主義(ソ連)と戦うために結成されたワロン人義勇兵部隊「ワロニー部隊」(Légion Wallonie)に志願入隊。ドイツ陸軍での勤務を経た後の1943年6月、再編制に伴って武装親衛隊に移籍し、後にSS突撃旅団「ヴァロニェン」第2中隊第4小隊長を務めた。 1944年秋に編制された第28SS義勇擲弾兵師団「ヴァロニェン」(28. SS-Freiwilligen-Grenadier-Division „Wallonien”)では第69SS擲弾兵連隊第1中隊長に就任し、1945年2月~3月のポメラニア戦線に従軍(一級鉄十字章受章)。独ソ戦末期の3月中旬から4月下旬の間、「ヴァロニェン」師団の生存者の中で戦闘継続を希望した将兵648名から成る「デリクス」戦闘団(Kampfgruppe Derriks)の第1中隊長〔後に武装親衛隊ワロン人義勇兵第3の騎士鉄十字章受章者となる、ジャック・ルロアSS少尉(''SS-Ustuf.'' Jacques Leroy)の中隊長。 〕を務め、4月20日の戦闘で重傷を負うまでシュテッティン・アルトダム橋頭堡やオーデル川周辺でソビエト赤軍と交戦した。最終階級はSS少尉(SS-Untersturmführer)。 独ソ戦(1941年~1945年)の間、前線で8度負傷した(1945年3月20日付で戦傷章金章受章)。 == ドイツ陸軍入隊までの経歴 == 1917年9月4日、アンドレ・レジボはベルギー王国ワロン地域圏リエージュ州南部のエワイユ(Aywaille)に生まれた〔Théo Verlaine "La Légion Wallonie"(De Krijger, 2006)p345〕。 第二次世界大戦勃発前のレジボはリエージュのベルギー国鉄(SNCB)職員〔であると同時に、リエージュ・イエズス会(des Jésuites de Liége)の金メダイユ(メダル)を持つほどの熱心なカトリック教徒であった〔同上 p300〕(ただし、レジボがレオン・デグレル(Léon Degrelle)主宰のカトリック系反共主義ファシズム政治団体「レクシズム」(Rexisme)の支持者であったかどうかは不明)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アンドレ・レジボ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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