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アンブローズ・バーンサイド : ミニ英和和英辞書
アンブローズ・バーンサイド[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ブロー : [ぶろー]
 【名詞】 1. blow 2. (n) blow
ローズ : [ろーず]
 【名詞】 1. rose 2. (n) rose
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

アンブローズ・バーンサイド : ウィキペディア日本語版
アンブローズ・バーンサイド[ちょうおん]

アンブローズ・エバレット・バーンサイド(英:Ambrose Everett Burnside、1824年5月23日 - 1881年9月13日)は、アメリカ合衆国軍人、鉄道会社役員、発明家、工業実業家、およびロードアイランド州の政治家であり、同州の知事と同州選出のアメリカ合衆国上院議員を務めた。南北戦争では北軍の将軍としてノースカロライナや東テネシーで作戦を指揮して成功したが、フレデリックスバーグの戦いクレーターの戦いでは惨めな敗北を喫した。バーンサイドの特徴ある顔ひげのスタイルは、その姓から「サイドバーンズ」と呼ばれている。
== 生い立ちと初期の経歴 ==
バーンサイドはインディアナ州リバティで、エッジヒルとパメラ(あるいはパミラ)・ブラウンのバーンサイド夫妻の9人の子供のうち4番目の子として生まれた。バーンサイド家はスコットランドの出身だった〔Mierka, np. バーンサイドの元々のミドルネームは、バーンサイドの出産を担当した医者であるシルバヌス・エバーツ博士に因んでエバーツ(Everts)だった。アンブローズ・エバーツはバーンサイド夫妻の最初の子にも付けられたが、バーンサイドが生まれる数ヶ月前に死んでいた。このエバーツがウェスト・ポイント入学時に綴りが誤られ、エバレット(Everett)となったものだが、バーンサイドはこの記録を訂正しなかった。〕。
父のエッジヒルはサウスカロライナ州の生まれで奴隷所有者だったが、インディアナ州に移転するときに奴隷を解放した。バーンサイドは少年の時にリバティ神学校に通ったが、1841年に母が死んだときに中断し、地元の洋服屋に徒弟奉公に出され、その後は洋服屋の共同経営者になった〔Mierka, np., 洋服屋との関係は年季奉公だったとしている〕。
バーンサイドは軍事に興味を持ち、父の政治的な関係もあって、1843年陸軍士官学校への入学指名を得た。士官学校は1847年に卒業し、同期38人中の成績は18番目だった。第2アメリカ砲兵連隊の名誉少尉に任官された。米墨戦争のときはベラクルスに向かったが、到着したときは敵対関係が終わっていたので、メキシコシティ周辺の守備任務に就いた〔Eicher, pp. 155-56; Sauers, pp. 327-28; Warner, pp. 57-58; Wilson, np.〕。
米墨戦争が終わると、2年間西部辺境での任務に就き、騎兵隊の任務に転換された軽装砲兵隊である第3アメリカ砲兵隊でブラクストン・ブラッグ大尉の下に入り、ネバダ州からカリフォルニア州に向かう西部郵便配送経路の護衛を行った。1849年ニューメキシコ州ラスベガスアパッチ族との戦闘中に首に矢傷を負った。1852年、ロードアイランド州ニューポートのアダムズ砦指揮官に指名され、そこに居る間の4月27日に、プロビデンスのメアリー・リッチモンド・ビショップと結婚した。この結婚はバーンサイドの死まで続いたが、子供は無かった〔Eicher, pp. 155-56; Mierka, np.; Warner, pp. 57-58.〕。
1853年アメリカ陸軍から退役し、州兵での位は維持していたが、その時間とエネルギーをその名前を付けることになった有名なライフル銃、バーンサイド・カービン銃の製造に捧げた。ジェームズ・ブキャナン大統領の閣僚である陸軍長官ジョン・フロイドが、陸軍の大部分の武器をそのカービン銃とするためにバーンサイド武器会社と契約し、バーンサイドにはその製造のための大規模な工場を建設するよう奨めた。ブリストル・ライフル工場が出来たときは、他の銃器制作者がフロイドに賄賂を贈って、バーンサイドとの10万ドルの契約を破棄させていたと言われている。1858年、バーンサイドは民主党公認でロードアイランド州選出のアメリカ合衆国下院議員を目指したが、地滑り的大敗を喫した。この選挙運動での負担に、火事によってその工場が破壊されたこともあって、財政的に破産状態となり、持っていた武器の特許について他の者に使用許可を与えることを余儀なくされた。その後仕事を求めて西部に移り、イリノイ・セントラル鉄道の財務担当になった。この時、後に上級士官となるジョージ・マクレランのために働き、親しくなった〔Eicher, pp. 155-56; Mierka, np.; Sauers, pp. 327-28; Warner, pp. 57-58.〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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