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アンベール王国 : ミニ英和和英辞書
アンベール王国[あんべーるおうこく]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [おう]
  1. (n,n-suf) (1) king 2. ruler 3. sovereign 4. monarch 5. (2) king (for senior player) (shogi) 
王国 : [おうこく]
 【名詞】 1. kingdom 2. monarchy 
: [くに]
 【名詞】 1. country 

アンベール王国 : ウィキペディア日本語版
アンベール王国[あんべーるおうこく]

アンベール王国(アンベールおうこく、ヒンディー語:जयपुर、英語:Amber Kingdom)は、インドラージャスターン地方に存在したヒンドゥー王朝11世紀 - 1947年)。 ジャイプル藩王国とも呼ばれる。
==歴史==
11世紀末、アンベール王国が建国された〔JAIPUR (Princely State) (17 gun salute) 〕。この呼称で呼ばれるのはキルハン・デーヴが王位を継承した以降、1300年以降である〔JAIPUR (Princely State) (17 gun salute) 〕。
1562年バール・マルのとき、ムガル帝国の皇帝アクバルに娘ハルカー・バーイーことジョーダー・バーイーを嫁がせ、帝国との同盟関係を構築した〔辛島『新版 世界各国史7 南アジア史』、p.236〕〔チャンドラ『中世インドの歴史』、p.252〕。
16世紀後半、マーン・シングはベンガル地方やビハール地方、オリッサ地方に遠征し、帝国の東方への領土拡大に貢献した〔小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』、p.155〕。
ジャイ・シングは皇帝アウラングゼーブの皇位継承に大きく寄与した。シヴァージーの討伐にも参加し、プランダル条約を締結して事実上降伏させ、アーグラへと赴かせた〔小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』、p.207 〕。
18世紀、アウラングゼーブが死亡すると、アンベール王国はその独立性を強めていった。
ジャイ・シング2世は首都をアンベールからジャイプルへと遷都し、ジャンタル・マンタルなどを建設した。ジャイ・シング2世は天文学者としても有名な人物であった〔チャンドラ『近代インドの歴史』、p.27〕。
1818年4月2日ジャガト・シングは軍事保護条約を締結し、アンベール王国はイギリスに従属する藩王国となった(ジャイプル藩王国)〔A History of Jaipur C. 1503-1938 - Jadunath Sarkar - Google ブックス 、p.286〕。
1947年8月15日インド・パキスタン分離独立の際、ジャイプル藩王国はインドへと併合された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アンベール王国」の詳細全文を読む




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