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アンリ・オノレ・ジロー(Henri Honoré Giraud、1879年1月18日 – 1949年3月13日)は、フランスの陸軍軍人。最終階級は大将。パリ出身。 == 略歴 == 1900年、サン・シール陸軍士官学校卒業。 第一次世界大戦では北アフリカで従軍。1914年8月、ギーズの戦いで重傷を負いドイツ軍に捕らえられた。2か月後に逃亡し、オランダを経由でフランスに帰国。その後、コンスタンティノープルで従軍。1933年、リフの反乱軍の鎮圧のためモロッコで従軍(第3次リーフ戦争)。アブド・エル・クリムを捕らえ、レジオンドヌール勲章を与えられた。その後、メスの司令官に就いた。1936年には少将となり、第7軍司令官になった。同時期に軍事参議官となり、シャルル・ド・ゴールと出会った。この時期にはド・ゴールが提案した電撃作戦に反対している。 1939年に第二次世界大戦が勃発すると、1940年5月10日に第9軍司令官としてオランダに進軍、攻勢正面の右翼を担当することになった。しかし19日、新しく設置された司令部に赴くと、すでにそこはドイツ軍に占領されていた〔大井、868p〕。ジローは捕らえられ、捕虜収容所として使われていたドレスデン郊外のケーニッヒシュタイン城(:en:Königstein Fortress)に収容された。収容中に逃亡の準備としてドイツ語を学んだり、周辺の地図を記憶するなどした。ジロー自身は後に、逃亡の目的は対独抗戦の再開のみであったと語っている〔大井、869p〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アンリ・ジロー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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