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アンリ・マスペロ(Henri Maspero、1883年12月15日 - 1945年3月17日)は、フランスの東洋学者。 == 来歴 == パリに生まれる。父はエジプト学者のガストン・マスペロ。当初エジプト学を志し、父の調査に随行してエジプトに滞在するが、フランスに戻って法学を学ぶ傍ら、エドゥアール・シャヴァンヌに師事して中国語や東アジアの言語を学んだ。1908年からフランス極東学院のハノイ支部に勤務、東南アジア諸民族の言語や風習を研究した。 1918年にシャヴァンヌの後任としてコレージュ・ド・フランスの中国学教授となる。ベトナム史やベトナム語、古代中国史、仏教史などを専門とし、それぞれに大きな業績を残した。1922年に道教に関する論文を発表した。1927年に古代中国の歴史、文学、哲学に関する基礎的文献となった『古代支那』を発表した。1928年に来日、3年間日本に滞在している。1930年代にも中国の宗教、法律、経済に関する研究を数多く発表した。マルセル・グラネの後任としてソルボンヌ大学中国学教授となり、高等研究実習院中国宗教学部長に就任した。 第二次世界大戦中、フランスがドイツ軍に占領されていた最中の1944年7月、テロ活動容疑で逮捕され、ブーヘンヴァルト強制収容所に送られた。当時のドイツの中国学者で唯一非ナチ党員だった、フリードリヒ=ヴィルヘルム大学教授エーリヒ・ヘンシュはマスペロの釈放に尽力したがかなわず、収容所が連合軍により解放される直前の1945年3月にマスペロは収容所内で衰弱死した。 現在でも著書『道教』は、幸田露伴の『論仙』と並び称せられる道教研究の古典的名作である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アンリ・マスペロ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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