翻訳と辞書
Words near each other
・ アーニー・フレッチャー
・ アーニー・ボール
・ アーニー・マクミラン
・ アーニー・ヤング
・ アーニー・ライゼン
・ アーニー・ライヴリー
・ アーニー・ラッド
・ アーニー・ロス
・ アーニー・ロビンソン
・ アーニー・ロペス
アーニー・ロンバルディ
・ アーヌース
・ アーネ (小惑星)
・ アーネシの曲線
・ アーネスティン・ウィーデンバック
・ アーネスト
・ アーネスト (ヨーク・オールバニ公)
・ アーネスト キャンプに行く!
・ アーネスト、クリスマスを救え!
・ アーネストヘミングウェイ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

アーニー・ロンバルディ : ミニ英和和英辞書
アーニー・ロンバルディ[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

アーニー・ロンバルディ : ウィキペディア日本語版
アーニー・ロンバルディ[ちょうおん]

アーニー・ロンバルディ(Ernie Lombardi、本名:Ernesto Natali Lombardi、 1908年4月6日 - 1977年9月26日)は、1930 - 1940年代に活躍したアメリカメジャーリーグの選手。主なポジションは捕手カリフォルニア州オークランド生まれ。右投げ右打ち。ニックネームは"Schnozz"(『鼻』の意)。捕手で首位打者を2度獲得し、強肩を誇った攻撃的キャッチャー。
== 経歴 ==
1931年にパシフィック・コーストリーグのオークランド球団からブルックリン・ロビンズに入団しメジャーデビュー。73試合に出場するものの、すぐにシンシナティ・レッズにトレードされた。1932年に打率.303、11本塁打を打って打撃面での才能を発揮し始め、1935年には打率.343を打ちMVPの候補に挙げられるまでになっていた。そして1938年、打率.342で首位打者を獲得、自己最高の95打点をたたき出してリーグ最優秀選手となる。
ロンバルディは当初から非常に足の遅い選手としても知られていて、併殺打の数がリーグ最多となったことも通算で4度あるのだが、レッズ在籍期間の1941年までの10年間は7度も打率3割を超えるなど、その短所を補って余りある活躍を見せていた。また強肩ぶりも有名で、しゃがんだままの姿勢から、しかも横手投げで速い球を投げていたといわれる。またMVPとなった1938年には、チームメイトの投手ジョニー・ヴァンダー・ミーアとのバッテリーが、『2試合続けての無安打試合』という記録も作っている。
1941年は打撃が不振だったこともあり、レッズはロンバルディをボストン・ブレーブスにトレードする。ところがロンバルディは移籍先のブレーブスで打率.330、11本塁打と復活し、自身2度目の首位打者を獲得する。2006年にジョー・マウアー(ミネソタ・ツインズ)が首位打者になるまで、捕手の首位打者は64年間も現れなかった。
1943年からはニューヨーク・ジャイアンツに在籍するも、出場機会は徐々に減り、1947年のシーズンを最後にジャイアンツから放出された。引退後の1953年に自殺未遂事件を起こし、1977年にカリフォルニア州のサンタクルズで死去。1986年にベテランズ委員会によりアメリカ野球殿堂入り選手に選出された。また同年、シンシナティ・レッズの球団殿堂入りも果たしている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アーニー・ロンバルディ」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.