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「ウィ・ビロング・トゥゲザー」は、アメリカ合衆国の歌手マライア・キャリーが2005年に発表した10枚目のスタジオ・アルバム『MIMI』の為にスタジオ録音したポップ/R&Bバラード楽曲で、同アルバムからのセカンドシングル。2005年にリリースされた。楽曲製作とプロデュースはマライア並びにジャーメイン・デュプリ、マニュエル・シール、ジョンテイ・オースティン。この楽曲は、1980年代のR&Bとソウル・ミュージックにインスピレーションを受け製作された。 マライアのキャリアの中でも低迷期とされる2001年から2003年の期間を経てリリースされたこの楽曲「ウィ・ビロング・トゥゲザー」はオーストラリア、クロアチア、フィリピン、南アフリカ共和国など世界中のチャートで1位に輝き、なかでもアメリカ合衆国の総合シングルチャートBillboard Hot 100では2005年に合計14週にもわたって第1位を獲得した(4週連続1位獲得の後、1週はさんでその後10週連続1位)。2005年のビルボード年間シングルチャートでも第1位を記録している。 アメリカ合衆国では、この楽曲はラジオエアプレイを繰り返し獲得。遂にはエアプレイの獲得数記録を更新し塗り替えるまでに特大ヒットし、批評家からも温かく迎えられた。同時に、この楽曲並びにこの楽曲の収録アルバム『MIMI』のワールドセールス1000万枚を超える特大ヒットによって、マライアは低迷期からの脱出も果たしている。2006年には、グラミー賞2部門を含む様々な音楽賞で受賞を果たした。また、2006年にビルボード主催の過去13年間で最も素晴らしい歌詞の曲の1位に選ばれたり、2009年12月に米ビルボードによる2000年代(過去10年間)のランキングでも1位となる。名実ともに、2000年代の音楽界を代表する曲である。 == 背景と楽曲製作 == この楽曲「ウィ・ビロング・トゥゲザー」は、収録アルバム『MIMI』の生産作業に支障をきたす程、ぎりぎりまで製作活動が行われた。アルバムの為の楽曲製作は、マライアのキャリア上、低迷期とされる2001年から2003年の間以降となる2004年に行われた。 その年の11月にはアルバムは完成していたが、アルバムをヒットに導けるようなポピュラーな楽曲の製作には至っていなかった。2004年当時アイランド・デフ・ジャムの経営幹部であったLA・リードは、マライアに対し、過去マライアのアルバムに携わっていたプロデューサーのジャーメイン・デュプリと共に録音スタジオ入りし、更に楽曲製作活動を進めていくことを推奨した。〔 その後マライアはデュプリのスタジオがあるジョージア州アトランタまで飛び、2日後にはアルバム『MIMI』の為の新たな楽曲「シェイク・イット・オフ」、「ゲット・ユア・ナンバー」の2曲を作曲し、ニューヨークへと戻ったが、この時点ではまだ「ウィ・ビロング・トゥゲザー」は生まれていなかった。LA・リードは新たに製作されたアルバム収録曲候補の2曲を聴いて感銘を受け、マライアに対し断固たる意思のもと、アトランタに戻って更に楽曲製作を進めるべきだと提言した。〔 そしてマライアはまたアトランタまで飛び、デュプリ、マニュエル・シール、ジョンテイ・オースティンらと共に製作活動に入った。その時に遂に「ウィ・ビロング・トゥゲザー」は生まれ、またこの時「ウィ・ビロング・トゥゲザー」だけでなく、更には後にアルバムからのファーストシングルになることになる「イッツ・ライク・ザット」までもが生み出されることとなった。〔 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ウィ・ビロング・トゥゲザー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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