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ウエストファリヤ条約 : ミニ英和和英辞書
ウエストファリヤ条約[やく]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

条約 : [じょうやく]
 【名詞】 1. treaty 2. pact 
: [やく]
  1. (adv,n) approximately 2. about 3. some 

ウエストファリヤ条約 ( リダイレクト:ヴェストファーレン条約 ) : ウィキペディア日本語版
ヴェストファーレン条約[ヴぇすとふぁーれんじょうやく]

ヴェストファーレン条約(ヴェストファーレンじょうやく、、、)は、1648年に締結された三十年戦争講和条約で、ミュンスター講和条約とオスナブリュック講和条約の総称である。ラテン語読みでウェストファリア条約とも呼ばれる。近代における国際法発展の端緒となり、近代国際法の元祖ともいうべき条約である。
この条約によって、ヨーロッパにおいて30年間続いたカトリックプロテスタントによる宗教戦争は終止符が打たれ、条約締結国は相互の領土を尊重し内政への干渉を控えることを約し、新たなヨーロッパの秩序が形成されるに至った。この秩序をヴェストファーレン体制ともいう。
== 会議と条約の参加者 ==
ヴェストファーレン条約を構成する2つの条約のうち、オスナブリュック講和条約 (Instrumentum Pacis Osnabrugense)は、カトリック勢力を率いた神聖ローマ皇帝オーストリア)と、プロテスタント勢力の主柱だったスウェーデン女王の講和問題を主な内容とする。ミュンスター講和条約 (Instrumentum Pacis Monasteriense)は、神聖ローマ皇帝と、カトリック国でありながらプロテスタント側で参戦したフランス国王との講和問題を中心とする条約である。
戦争の主要当事者には他にもう一つ、カトリックのスペインがあり、主にフランスと戦っていた。スペインも講和会議に参加したが、ここでは妥結に至らなかった〔明石『ウェストファリア条約』3頁、48頁。〕。
オランダも、ネーデルランド連邦議会の名で会議に加わり、同じ年にスペインとミュンスター条約を結んで独立を認められた。学者によってはこのミュンスター条約もウェストファリア条約に含めることもある〔明石『ウェストファリア条約』21頁注1。〕。
ヨーロッパ諸国のほとんどは、三十年戦争に参戦しなかった国も含め、何らかの形で会議に参加した。参加者のうち、数の上で多数を占めたのは、神聖ローマ帝国内部の領主、有力聖職者、都市からなる帝国等族である〔明石『ウェストファリア条約』21頁注1。〕。彼らの中の有力な一部は、皇帝・国王と並んで2条約に名を連ねた。ヴェネツィア共和国ローマ教皇は、和平の当事者ではなく仲介者として参加した〔明石『ウェストファリア条約』40-41頁。〕。会議に使節を派遣しなかった有力国は、清教徒革命の内戦下にあったイングランド王国、宗派・宗教が異なるモスクワ大公国オスマン帝国の3国だけであった〔明石『ウェストファリア条約』41頁。ポーランドを不参加とする説があるが、使節を参加させていたようである(同書78-79頁注21)。〕。
この時代には国家が法人格を持つものと考えられておらず、外交は君主・議会など統治権を持つ個人・団体の資格でなされた。どの国も使節を派遣し、君主などの本人は参加しなかった。派遣されて会議に加わった使節の総数は、帝国外から37、帝国内から112、計148名にのぼった〔明石『ウェストファリア条約』41頁。〕。参加国のすべてが条約の署名者に連なったわけではない。オスナブリュック講和条約には、皇帝の全権使節2名、スウェーデン女王の全権使節2名、都市を含めた帝国等族の使節36名の計40名が署名した。ミュンスター講和条約には、皇帝の全権使節2名、フランス国王の全権使節1名、帝国等族の使節35名の計38名が署名した〔明石『ウェストファリア条約』60-61頁。〕。条約は署名に加わらなかったもの(特に帝国等族)も履行・遵守の義務を負うものとしており、また、イングランドやモスクワのような参加しなかった国も講和に含まれるものとした〔オスナブリュック講和条約第17条、明石『ウェストファリア条約』65-66頁に訳出。明石は、参加しない者が講和に含まれたのは、全ヨーロッパ的な平和状態への移行をともにする、という意味合いだと説く(同書68-69頁)。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Peace of Westphalia 」があります。




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