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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ウーシマー、もしくはウーシマー州 (、)は、フィンランドの伝統州。西から東に向かって反時計回りに、南西スオミ、ハメ、サヴォ、カルヤラの各伝統州と接している。州名の及びは、双方とも「新しい土地」を意味する。中世から1809年までは、現在のフィンランドの大部分は、隣国スウェーデンの支配下に置かれていた。ウーシマーも他地域と同様にスウェーデンの支配下に置かれていた。 == 歴史・行政 == 同名の州や県が存在するため、伝統州であるウーシマーは「州」をつけず、他の州や県には「州」、「県」を付記し表記する。 ウーシマーは、他のフィンランド西部と南部の地域と同じく、12世紀から13世紀頃からスウェーデンの支配下にあった。ウーシマーの沿岸地域は、元々人口の少ない荒涼とした地域であった。しかし、スウェーデン統治時代に入植者によって、沿岸地域の人口が増加した。 ウーシマーの地域には、スウェーデン統治下の1634年に北のハメとにかけて、ウーシマー・ハメ州(スウェーデン名:ニューランド・タヴァステフス県)が設置された。ただし、この時、ウーシマー東部はカルヤラ州(スウェーデン名:カレーレン県)に所属するようになった。1809年にフィンランドはスウェーデンからロシア帝国に割譲された。そのため、ロシア帝国の保護国であるフィンランド大公国が建国され、その政府の下、1831年にウーシマー・ハメ州が分割され、伝統州と同名のウーシマー州が設立された。 一方、1634年の時点で、カルヤラ州に所属した地域は、その後、戦争によって州が様々に変化した。特にスウェーデン統治時代終期には戦争後の和約によって、ウーシマー最東部は、ロシア帝国の支配下に入っている。この地域は、フィンランド大公国建国後の1812年にヴィープリ州としてフィンランドに復帰している。1945年からはキュミ州が設立され、同州がウーシマー最東部を管轄していた。 1997年9月1日の州の大規模改革時に、ウーシマー州とキュミ州は、ハメ州南部と合併し南スオミ州が発足したため、同州がウーシマー地域を管轄するようになった。その後、2010年1月1日にフィンランドの全州が廃止された。そのため、ウーシマーの地域は、最上位行政区画となったウーシマー県と東ウーシマー県、キュメンラークソ県が管轄するようになる。そして、2011年1月1日に東ウーシマー県がウーシマー県と合併して消滅したので、ウーシマー県とキュメンラークソ県が現在ウーシマーの地域を管轄している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ウーシマー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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