|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ バール : [ばーる] 【名詞】 1. bar 2. crowbar 3. (P), (n) bar/crowbar ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
エゴン・バール(Egon Karlheinz Bahr、1922年3月18日 - 2015年8月19日)は、ドイツの政治家(ドイツ社会民主党所属)、経済協力大臣(1974年-1976年)。テューリンゲン州生まれ。 ヴィリー・ブラントの側近として、東西ドイツの分断克服のアイデアとして「接近による変革」を提唱し、東西ドイツ基本条約交渉をはじめとするソ連、東ドイツ、ポーランドとの関係正常化を目指した東方外交において主導的な役割を担ったことで知られる。 新聞社やラジオ局の勤務を経て、ブラントに抜擢され、西ベルリン市の広報担当に就く。ブラントの外相就任に伴って、外務省政策企画部長に転じ、東方外交につながる安全保障構想を立案する。1969年のブラント政権成立後は、首相府の東方問題担当になり、モスクワ条約、東西ドイツ基本条約の交渉に携わった。シュミット政権での経済協力相を経て、1980年から1982年まで国連軍縮委員会(パルメ委員会)に参加し、共通の安全保障概念を提唱した。 2010年10月3日放映のNHKスペシャル「核を求めた日本」では、外務事務次官を務めた村田良平(2010年3月死去)の証言をもとに、核拡散防止条約調印後の1969年2月に、外務省の村田良平調査課長、岡崎久彦分析課長、鈴木孝国際資料部長が西ドイツ外務省のエゴン・バール政策企画部長、ペア・フィッシャー参事官、クラウス・ブレヒ参事官を箱根の旅館に招いて、核保有の可能性を探る非公式の意見交換を持っていた事実を明らかにした。 バールはこれを受け意見交換を認めた。日本と西ドイツのおかれている状況は違いすぎる。冷戦で東と西に分けられているドイツではこうした問題について自分たちで決定できない。その夜「大変なことだ」と激しく動揺した。日本は必要だと決断すれば比較的短期間で核兵器を作れるという考えでした。日本が核を持つことのないよう願った。日本が超大国を目指し核兵器を持つことも有り得ると、ヴィリー・ブラント外相に報告している。 また、当時の佐藤内閣が、専門家の意見を集めた上で内閣調査室に極秘に核兵器の製造能力についての報告書を作成させていた事実も明らかにされた。報告書では外交・内政上の障害を理由に「有効な核戦力を持つには多くの困難がある」と結論づけていた。これらの背景には1964年に中国が核保有国となったことが挙げられている。 この報道を受けて外務省は、省内で調査をおこなった結果を同年11月29日に報告書として発表した。それによると、日本と西ドイツの外交当局者が1969年に「政策企画協議」を東京で開催した後に箱根で懇談した事実を確認し、「政策企画協議」自体は「自由な意見交換が目的で、政策の交渉や調整の場ではない」としたものの、西ドイツ側関係者の証言などに基づき、日本の核保有の可能性に関連する発言が「何らかの形でなされていた可能性を完全に排除できない」と結論づけている。〔Sprotte, Maik Hendrik (2014). "Egon Bahr und sein Japan-Besuch 1969: Japanische Atomwaffen als 'Frage des Willens, nicht des Könnens'?". Bochumer Jahrbuch zur Ostasienforschung (BJOAF). 6 / 2012: 213–247.〕 == 脚注 == 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「エゴン・バール」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|