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エジプト新王国(紀元前1570年頃 - 紀元前1070年頃)は古代エジプト史における時代区分。エジプト第18王朝の王イアフメス1世が第15王朝(ヒクソス)を滅ぼしてエジプトを再統一してからの時代が新王国に分類されている。古代エジプト文明が最も栄えた時代であり、この時代に建てられた無数の記念建造物、文化遺産は今日でもエジプトに数多く残されている。 == 概略 == 第2中間期に下エジプト(ナイル川三角州地帯)を中心に支配を広げていたヒクソス(第15王朝)を、テーベ(古代エジプト語:ネウト、現在のルクソール〔紀元前3世紀のエジプトの歴史家マネトの記録ではディオスポリスマグナと呼ばれている。これはゼウスの大都市の意であり、この都市がネウト・アメン(アメンの都市)と呼ばれたことに対応したものである。この都市は古くはヌエと呼ばれ、旧約聖書ではノと呼ばれている。ヌエとは大都市の意である。新王国時代にはワス、ワセト、ウェセ(権杖)とも呼ばれた。〕)の政権(第17王朝)が、セケンエンラー、カーメス、そしてイアフメス1世の三代に渡る戦いの末に駆逐し、エジプトを再統一した。第17王朝と第18王朝は連続した政権であるが、エジプト統一という点を重視し、イアフメス1世以後は第18王朝とされる。 イアフメス1世とその後継者達は上下エジプトのみならず近隣のシリア、ヌビア地方へ大幅に領土を拡大し、エジプトはオリエント世界最大の国家の一つとして君臨するに至った。トトメス3世に代表される歴代王達の征服活動は目覚ましく、広大な征服地とともに膨大な戦利品がエジプトへ流れ込み、エジプトは空前の繁栄の時代を迎えた。 歴代の王達は遠征の後に、国家神であるアメンに戦勝を謝するため、テーベにあるアメン神殿に多数の寄進を行うのが慣例となっていた。やがてアメン神殿はエジプトにおいて比類無い有力勢力となり、アメン神官団の動向は時として王位すら左右するようになった。第18王朝半ば頃になるとこうした神殿勢力の強大化に懸念を抱いた王達は、人事面における介入や他の神殿とのバランスをとる政策を中心として、アメン神官団の勢力をそぎ落としにかかった。こうして比較的アメン神官団を統御することが可能となったアメンヘテプ3世の時代には、圧倒的な王権を背景に数多くの巨大建築が残された。 アメンヘテプ3世に続くアメンホテプ4世は更に進んでアメン信仰を排し、アテン神を唯一信仰するという新たな宗教改革(アマルナ革命)に乗り出した。王はアテン信仰を盛り上げるべく、王名をアクエンアテンと変更し、首都を新たにアケトアテンへと遷した。新しく筆記語として当時の口語(新エジプト語)が採用された。そしてアマルナ美術と呼ばれる新たな美術様式が生み出され、アテン神の図像表現も定まった。しかしアテン信仰は王とその側近以外にはほとんど広まらず、アクエンアテンの死後再びアメン信仰が国家祭儀の中心となった。 アクエンアテンの後は王位継承が混乱し、軍人出身の王が続いた後第18王朝最後の王ホルエムヘブから後継者に指名された宰相ラムセス1世が即位して第19王朝が始まった。第19王朝においても新王国の繁栄は受け継がれ、セティ1世、そしてラムセス2世はその威信を示す巨大建造物を多数残している。特にラムセス2世は古代エジプト最大の王とも言われ、60年を超える彼の治世はエジプトが最も繁栄した時代と解される。 その後興った第20王朝の王ラムセス3世の治世を最後に、新王国の王権は急速に衰退し始め、逆に勢力をのばしたテーベのアメン神殿が事実上の国家を樹立して上エジプトに支配を広げ、エジプトの統一は再び失われた。下エジプトではスメンデスと言う名の男が新たに権力を握ってラムセス11世と並び立ち、やがて新たに第21王朝を開くことになる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「エジプト新王国」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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