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エレーナ・デメンティエワ : ミニ英和和英辞書
エレーナ・デメンティエワ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

エレーナ・デメンティエワ ( リダイレクト:エレーナ・デメンチェワ ) : ウィキペディア日本語版
エレーナ・デメンチェワ[ちょうおん]

エレーナ・デメンチェワ(''Elena Dementieva'', , 1981年10月15日 - )は、ロシアモスクワ市出身の女子プロテニス選手。2008年北京五輪で女子シングルスの金メダルを獲得した選手である。自己最高ランキングはシングルス3位、ダブルス5位。WTAツアーでシングルス16勝、ダブルス6勝を挙げた。デメンティエワと呼ばれることも多い。
== 来歴 ==
デメンチェワはモスクワ市内にある名門クラブ「スパルタクラブ」で、アンナ・クルニコワアナスタシア・ミスキナと幼なじみだった(3人とも同じ年である)。1998年8月にプロ転向。1999年から女子国別対抗戦・フェドカップロシア代表選手になる。2000年夏から頭角を現し、全米オープンで初のベスト4に進出する。同年のシドニー五輪で銀メダルを獲得した時は、決勝でビーナス・ウィリアムズに 2-6, 4-6 で敗れた。この活躍により、デメンチェワは2000年WTAアワードの「最も進歩した選手賞」を受賞した。
2002年、デメンチェワはダブルスでツアー年間3勝を遂げ、ヤネッテ・フサロバスロバキア)とのコンビで多くの好成績を出した。デメンチェワとフサロワは2002年全米オープンの準優勝ペアになり、女子ツアー年間最終戦「WTAツアー選手権」のダブルス部門で優勝した。シングルスではしばらく足踏みが続いたデメンチェワだが、シドニー五輪銀メダルから3年後、2003年4月に女子ツアーでシングルス初優勝を果たす。2003年ウィンブルドンでは、デメンチェワは同じロシアリナ・クラスノルツカヤとペアを組んだ女子ダブルスで活躍した。2人のペアは3回戦でビーナスセリーナのウィリアムズ姉妹ペアを破り、第1シードのビルヒニア・ルアノ・パスクアル&パオラ・スアレス組との準決勝まで進出した。
2004年、デメンチェワは全仏オープン全米オープンの2大会で準優勝した。どちらも「ロシア対決」の決勝戦になったが、前者はアナスタシア・ミスキナに 1-6, 2-6 で敗れ、後者はスベトラーナ・クズネツォワに 3-6, 5-7 で敗れている。2005年全米オープンの女子ダブルスで、フラビア・ペンネッタイタリア)とペアを組んだ準優勝がある。デメンチェワは2004年2005年とフェドカップのロシア・チーム2連覇に貢献した。
2006年2月5日、デメンチェワは日本の「東レ パン・パシフィック・オープン・テニストーナメント」決勝戦で、当年度から現役復帰を果たした元世界ランキング1位のマルチナ・ヒンギスを 6-2, 6-0 で破って初優勝した。2002年10月にヒンギスはドイツ・フィルダーシュタットの「ポルシェ・テニス・グランプリ」2回戦敗退を最後にテニス界から退いたが、その時の対戦相手がこのデメンチェワであった。(当時のスコア:デメンチェワの 6-3, 6-1)この年の4大大会では、ウィンブルドンで初めてのベスト8進出があった。準々決勝ではウィンブルドンを得意とするマリア・シャラポワに 1-6, 4-6 で敗れた。8月第2週にアメリカロサンゼルス大会で優勝し、年間2勝目を挙げる。決勝戦ではセルビアエレナ・ヤンコビッチに 6-3, 4-6, 6-4 で競り勝った。
2008年、デメンチェワはウィンブルドンで初のベスト4に進出した。準々決勝で同じロシアのナディア・ペトロワと対戦した時は、第2セットでデメンチェワが 6-1, 5-1 とリードした場面からペトロワに追いつかれたが、最後は 6-1, 6-7, 6-3 で試合を締めた。初進出の準決勝では、大会前年度優勝者のビーナス・ウィリアムズに 1-6, 6-7 で敗れた。8月の北京五輪で、デメンチェワは女子シングルスの金メダルを獲得した。V・ウィリアムズに敗れたシドニー五輪から8年の歳月を経て、2大会ぶり2度目のオリンピック女子シングルス決勝戦に進み、同じロシアのディナラ・サフィナに 3-6, 7-5, 6-3 で逆転勝ちを収めた。このオリンピックでは、女子シングルスの銅メダルをベラ・ズボナレワが獲得し、3つのメダルすべてをロシア勢が独占した。
2009年は全豪オープンウィンブルドンでベスト4に進出した。準決勝で優勝したセリーナ・ウィリアムズに敗れている。
2010年全仏オープン準決勝のフランチェスカ・スキアボーネイタリア)との試合ではふくらはぎの痛みにより途中棄権し、ウィンブルドンを欠場することになった。1999年の全豪オープンで4大大会に初出場してから、46大会連続で出場してきたデメンチェワにとって初めての欠場であった。10月の東レ パン・パシフィック・オープン・テニストーナメントではデメンチェワは決勝に進出したが、第1シードのキャロライン・ウォズニアッキデンマーク)に 6-1, 2-6, 3-6, で逆転負けして、4年ぶりの優勝はならなかった。
同年10月、カタール・ドーハで行われたWTAツアー選手権では、サマンサ・ストーサーに逆転勝利を収めるものの、ウォズニアッキ、スキアボーネに敗れ、ラウンドロビン敗退に終わった。そして、10月29日のラウンドロビン、スキアボーネ戦の後、2010年限りでの現役引退を発表した。最終ランキングは9位で世界ランキングトップ10のままで現役を引退する8人目の選手となった。
デメンチェワは2011年7月16日にアイスホッケー選手のと結婚している〔Dementieva Marries Afinogenov In Moscow 〕。2014年4月に第1子の長女を出産した〔Dementieva Gives Birth To First Child 〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「エレーナ・デメンチェワ」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Elena Dementieva 」があります。




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