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オットー・フォン・ロッソウ : ミニ英和和英辞書
オットー・フォン・ロッソウ[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

オットー・フォン・ロッソウ : ウィキペディア日本語版
オットー・フォン・ロッソウ[ちょうおん]

オットー・ヘルマン・フォン・ロッソウ:Otto Hermann von Lossow、1868年1月15日 - 1938年11月25日)は、ドイツ軍人
== 略歴 ==

=== ドイツ帝国軍時代 ===
バイエルン王国ホーフ出身。父は地主のオスカー・フォン・ロッソウ(Oskar von Lossow)。母はその妻ヨハンナ(Johanna)〔LeMO 〕。1886年に実科ギムナジウムを出て、バイエルン近衛歩兵連隊に入隊〔〔Lexikon der Wehrmacht 〕。まもなくミュンヘンバイエルン戦争大学(Bayerische Kriegsakademie)に入学し、1888年に卒業すると少尉に任官した〔〔。1900年から1901年には東アジア遠征第2歩兵旅団の旅団長副官として義和団の乱に揺れる大清帝国に派遣され、義和団の鎮圧に参加した〔〔。1908年には少佐に昇進するとともにプロイセン参謀本部に配属された〔〔。バイエルン王国第8歩兵連隊「大公フリードリヒ2世、フォン・バーデン」に大隊司令官として配属された〔〔。1911年に中佐に昇進するとともにオスマン帝国に軍事指導官として派遣され、オスマン帝国軍参謀本部に所属した。バルカン戦争にはオスマン軍歩兵師団の師団長として参加〔〔。
1914年に第一次世界大戦がはじまると西部戦線のバイエルン第1予備軍団の参謀長となった〔〔。1915年7月にオスマン帝国コンスタンティノープルのドイツ大使館の駐在武官となる〔〔。1916年に少将に昇進。1918年には南部国土防衛軍参謀長(Generalstabschef beim Oberbefehlshaber des Heimatschutzes Süd)となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「オットー・フォン・ロッソウ」の詳細全文を読む




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