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オリー伯爵 : ミニ英和和英辞書
オリー伯爵[おりーはくしゃく]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [はく]
 【名詞】 1. count 2. earl 3. eldest brother 4. uncle 5. chief official 
伯爵 : [はくしゃく]
 【名詞】 1. count 2. earl 

オリー伯爵 : ウィキペディア日本語版
オリー伯爵[おりーはくしゃく]

オリー伯爵』(''Le Comte Ory'' )は、ジョアキーノ・ロッシーニ1828年パリ・オペラ座で発表した、フランス語の台詞によるオペラ
*原曲名:''Le Comte Ory''
*原作:ピエール=アントワーヌ・ド・ラ・ブラース編集による伝説集
*台本:ウジェーヌ・スクリーブシャルル=ガスパル・ドレストル=ポワルソン
*演奏時間:前奏曲3分、第1幕1時間10分、第2幕1時間10分
*作曲期間:1828年7月頃
*初演:1828年8月20日オペラ座(パリ)
== 作曲の経緯 ==
セミラーミデ』を最後に、イタリアからフランスへ移住したロッシーニは、イタリア劇場の指揮に加えてオペラの新作を書くという旨の契約をフランス政府と結んだ。程なく1824年9月にルイ18世が死去し、ロッシーニは新国王シャルル10世の即位を祝う作品を書くように命じられた。それが1825年6月に初演された『ランスへの旅』である。作品は成功を収めたが、『ランスへの旅』は戴冠式用の機会作品だったためにロッシーニは、それをそのままお蔵入りにしてしまう。
『ランスへの旅』の盛り上がりの後、ロッシーニは元の計画に戻り、フランスの劇場との仕事を続けた。その間に持ち上がってきたのが『オリー伯爵』である。典型的な好色貴族でトゥレーヌに住んでいたとされるオリー伯爵の伝説は、ウジェーヌ・スクリーブと同僚のシャルル=ガスパル・ドレストル=ポワルソンの共作で1816年に上演されたものである。しかし、この台本はそのまま使うのには短すぎ、原作を第2幕に充て、オリー伯爵がまんまと恋に成功しかける第1幕を継ぎ足すことにした。
音楽の大部分は『ランスへの旅』で使われた主題を使用しているために、フランスの歌手たちにベル・カントの技法を習得させる必要がある一方で、作曲するロッシーニにとっても台本作者にとっても、非常に制約を課された作業となってしまい、台本作者の一人スクリーブは初日に自分の名前を載せないように依頼するほどだった。そこでロッシーニは、自分も台本作りに関与する形でこの作品を成立させ、1828年8月20日にパリ・オペラ座での上演にこぎつける。
観客の反応は好調で、好色なオリー伯爵が小姓と片思いの女性の手によって散々に打ち負かされる内容を楽しんでいたようであるが、他方イタリアではモーツァルトの『コジ・ファン・トゥッテ』と同様にふしだらな話として指弾され、話の内容を変更して上演しなければならなかった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「オリー伯爵」の詳細全文を読む




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