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オルジャイトゥ・ハン ( リダイレクト:オルジェイトゥ ) : ウィキペディア日本語版 | オルジェイトゥ
オルジェイトゥ・ハン(Öljeitü , ūljāytū khān اولجايتو خان生没年:1281年 - 1316年)は、イルハン朝の第8代君主(在位1304年 - 1316年)。第4代君主・アルグンの第3子で、第7代君主・ガザン・ハンの弟、アブー・サイードの父。兄ガザン・ハンの目指したイラン・イスラーム的なモンゴル国家像によるイルハン朝再建の政策を引継ぎ、国内の財政と軍政、宗教問題などの安定化、モンゴル帝国諸王家との融和政策にも取り組んだ。その過程でシーア派改宗宣言をしたことでも知られる。なお、日本語表記では、オルジャイトゥ(ー)と表記されるものもある。 == 生い立ち == オルジェイトゥはアルグンと、フレグの妃であったドグズ・ハトゥンの兄サリジャの娘ウルク・ハトゥンとの子である。誕生時にはオルジェイ・ブカと称し、邪視を避ける慣習によりテムデルと改名。王子時代はペルシア語で「ロバ曳き」を意味するハルバンダ Khar-banda と呼ばれていた。 即位にあたり誕生名オルジェイ・ブカにちなみオルジェイトゥ・ハンを号した。勅書などにおいてはオルジェイトゥ・スルターンを称号とする事を宣言し、またハルバンダにちなみアラビア語のアブドゥッラー(神・アッラーの下僕)のペルシア語による訳語である「フダーバンダ Khudā-banda 」と代え、兄ガザンがマフムードと称したようにムスリム改宗名としてのムハンマドを加え、スルターン・オルジェイトゥ・ムハンマド・フダーバンダなどを称している。 中古モンゴル語の「オルジェイトゥ」とは、テュルク語の qutluγ と同じ「幸福(オルジェイ)持てる」という意味である。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「オルジェイトゥ」の詳細全文を読む
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