|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 岬 : [さき, みさき] 【名詞】 1. cape (on coast) ・ 海戦 : [かいせん] 【名詞】 1. naval battle ・ 戦 : [いくさ] 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight
オルテガル岬の海戦(オルテガルみさきのかいせん、Battle of Cape Ortegal、Bataille du cap Ortegal)は、トラファルガー戦役の最後の戦闘である。この戦闘は1805年11月4日、イギリス海軍の戦隊と、数週間前のトラファルガーの海戦で散り散りになった、フランス艦隊の残りの戦力により、スペイン北西部ガリシア地方のオルテガル岬沖で行われ、イギリス海軍の艦長が、少将指揮下のフランス戦隊を破って艦を拿捕した。 デユマノワールはトラファルガーで戦列のを指揮しており、戦闘からかろうじて逃走したため、比較的小さな損害ですんだ。当初は艦隊の任務を遂行しようと考えて地中海に入ったが、強力なイギリス海軍に出くわすことを恐れ、考えを変えて北をめざし、スペインを避けてフランスの大西洋岸の港に入った。この航行の途中で、複数のイギリスのフリゲート艦と出会ってこれを退けたが、そのすぐ後に出会って追跡した、やはりイギリスのフリゲート艦から、ストラカン指揮下のイギリス戦隊の射程内に誘導された。このストラカンの戦隊は、別のフランス戦隊の探索のためにこの海域を巡回していた。ストラカンはすぐさま追跡を始め、一方デュマノワールは、自分たちが誘導され、戦力においてまさるこの戦隊から逃げ出した。ストラカンの戦隊は陣形を整えるまでに時間を要したが、戦隊のフリゲート艦を使い、自分の座乗艦である戦列艦が追いつくまでに、フランス戦隊をじらして逃げるのを遅らせることができた。 数時間に及ぶ激しい戦闘の後、ストラカンは相手の裏をかいて、戦列艦とフリゲート艦とで二重の陣形を敷いた。フランス戦隊はこれに圧倒され、降伏した。フランス戦隊の4隻の艦すべてが拿捕艦としてイギリスに連行され、イギリス海軍で就役した。ストラカンと乗員は国家から多大な褒賞を受けた、この戦闘が、トラファルガーでのホレーショ・ネルソンの勝利を締めくくるのに上出来の成果であると見なされたからだった。 ==前哨戦== ===デュマノワールの逃走=== トラファルガーの海戦で、仏西連合艦隊の先頭位置にいたデュマノワール提督指揮下の4隻の戦列艦は、戦闘を抜け出し、南の方向を目指した。デュマノワールは当初の目的は、ピエール・ヴィルヌーヴが最初に下した命令を遂行するため、トゥーロンに針路を定めていた。しかしこの海戦の翌日、デュマノワールは、少将指揮下の大規模なイギリス戦隊が、ジブラルタル海峡を巡回しているのを思い出し、考えを変えた。スペイン沖での嵐が徐々に強まっており、デュマノワールは北西に向かうよりも西方に針路を取ってサン・ヴィセンテ岬を通過し、その後東に折れてビスケー湾を横切り、ロシュフォールの港を目指した。トラファルガーでごくわずかな損害しか受けなかったため、デュマノワールの戦隊は依然として大規模戦隊の様相を呈していた。トラファルガーから逃走する時、デュマノワールの旗艦であるは、12門の12ポンド砲を船尾甲板から投げ捨てて荷を軽くし、逃走を助けた。デュマノワールは10月29日にサンビセンテ岬を回ってに向かい、11月2日にビスケー湾に入った〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「オルテガル岬の海戦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|