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カトリック浅草教会(かとりっくあさくさきょうかい)は、東京都台東区浅草橋にあるキリスト教(カトリック)の教会およびその聖堂である。教会堂名は「聖パウロ」。 東京で比較的早い段階から日本人のために設立された教会で、明治初期から明治後期にかけて東京6教会〔築地、神田、浅草、本所、麻布、関口の6教会。〕で最も多い信徒数となり、大きく活動した教会である。 == 沿革 == 築地稲荷橋の教会(現在のカトリック築地教会)で洗礼を受けた本多善右衛門は、浅草地区にも築地のような教会を設立してもらおうと、浅草区猿屋町16番地(現在の浅草橋3丁目2)に家屋を取得し、1877年(明治10年)2月9日に東京府へ私学開業願を提出、同年2月12日に認可され〔東京都公文書館所蔵(資料番号608.A3.22)『私学開業願(本多善右衛門よりの願いに対し、玫瑰学校開業聞き届け)』(明治10年2月12日起案)〕、同年4月15日にフランス語学校「玫瑰(まいかい)学校」を開校し、宣教師のラングレーを教師として雇い、学校の一室を「聖ポーロ小聖堂」とした。 この学校を拠点とする宣教活動は、めざましい成果をあげ、浅草地区には信徒が急増した。そのため新たな教会堂が必要となり、1877年(明治10年)12月10日、本多善右衛門名義で向柳原町1丁目15番地(現在の浅草教会)に土地と建物を購入し、同年12月25日には購入した建物の玄関と書院を利用して聖堂とし、献堂式が行われた。 その後、本所横川町(現在の墨田区石原)や小石川区関口台町(現在の文京区関口)にも信者名義で土地や家屋が買われ巡回教会となり、やがて、現在の本所教会や関口教会へと発展した。 1889年(明治22年)3月25日に聖堂が新築されたが、1923年(大正12年)9月1日の関東大震災によって焼失・倒壊してしまう。しかし同年12月には仮聖堂を建築し、1925年(大正14年)12月20日には新聖堂が完成する。震災後、最も早く本聖堂を再建した教会として称賛された。その後、老朽化のため建替え工事が行われ、1987年(昭和62年)12月に現在の聖堂が完成した。 1992年(平成4年)に台東区の建築景観賞を受賞。また、現在の聖堂にあるステンドグラス「誕生・十字架の死・復活」(ジャック・グリュベール工房1929年製作)は、旧聖堂から移設されたものである。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「カトリック浅草教会」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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