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亀井 靜香(かめい しずか、1936年11月1日 - )は、日本の警察官僚、政治家。階級は警視正(警察庁退官時)。衆議院議員(13期)。通常は新字体で亀井静香と表記。 運輸大臣(第69代)、建設大臣(第64代)、自由民主党政務調査会長(第43代)、国民新党代表(第2代)、内閣府特命担当大臣(金融担当)などを歴任。 == 概要 == 東京大学経済学部を卒業後、サラリーマンを経て警察庁に入庁。警察庁長官官房調査官を最後に退官。退官時の階級は警視正(特進を含まない階級)。退官後、衆議院議員になり、長らく自由民主党に所属。運輸大臣、建設大臣、自由民主党政務調査会長を歴任。 自民党内の派閥では清和会(福田赳夫→安倍晋太郎→三塚博派)に所属していたが、平沼赳夫や中川昭一らとともに離脱し、亀井グループを旗揚げ。後に亀井グループと政策科学研究所(旧渡辺派)を合併させ、新たに志帥会(村上・亀井派)を結成、会長を務めた。 2001年自由民主党総裁選挙には中曽根康弘元首相や志帥会の全員一致推薦で立候補を表明していたが、総裁候補の一人であった小泉純一郎が総裁選の応援を要請。小泉と政策協定を結び、亀井は本選を辞退した。その後は小泉の応援にまわり、小泉総裁誕生に貢献。しかし、政策協定は小泉によって反故にされている〔 〕。 以降は郵政民営化を強力に推進する小泉と対立、2005年に自民党を離党し、綿貫民輔元衆議院議長を党首に担ぎ国民新党を結成。自らは代表代行に就任。2009年の第45回衆議院議員総選挙で綿貫が落選して党首を辞任したことに伴い代表に昇格。同年9月に発足した民社国連立政権の鳩山由紀夫内閣では内閣府特命担当大臣(金融担当)に任命される。また、特命事項として郵政改革担当大臣も兼任し、中小企業金融円滑化法の成立に尽力した。2010年6月に発足した菅内閣でも留任したが、菅直人首相が郵政改革法案の成立を今国会で成立させるという国民新党と民主党との公約を破棄したため、組閣直後に大臣を辞任した(後任は自見庄三郎が就任)。 2011年6月、菅内閣 (第2次改造)の内閣総理大臣補佐官(内閣の重要政策全般担当)に就任。しかし、首相の退陣に伴い約2ヵ月で退任。 2012年3月、消費税増税法案の取り扱いを巡り野田内閣と対立し、国民新党代表として民主党との連立政権離脱を表明。しかし、党内の連立維持派がこれを認めず、一方的に代表の解任を主張。これに対し、代表の解任は無効だと主張し、亀井亜紀子と共に国民新党を離党し無所属として活動。 野田首相が2012年11月16日に衆議院を解散したのちの11月19日に、民主党を離党した山田正彦と共に「反TPP・脱原発・消費増税凍結を実現する党(略称:反TPP)」の結成を発表。 同年11月22日に、反TPP・脱原発・消費増税凍結を実現する党が減税日本と合流し減税日本・反TPP・脱原発を実現する党を結成すると〔減税日本と山田・亀井氏、新党結成で合意 - 読売新聞 2012年11月22日〕、同党の幹事長に就任〔 (MSN産経ニュース2012年11月22日23:09配信(2012年11月23日閲覧)〕。 2012年11月28日、嘉田由紀子滋賀県知事が結成した日本未来の党に減税日本・反TPP・脱原発を実現する党が合流して日本未来の党所属となるが、嘉田代表と小沢一郎の党内対立の影響で同年12月27日に離党。翌12月28日にみどりの風に参加。 2013年12月31日に、みどりの風が解散したため無所属となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「亀井静香」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Shizuka Kamei 」があります。 スポンサード リンク
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