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カラ・ホト : ミニ英和和英辞書
カラ・ホト
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


カラ・ホト : ウィキペディア日本語版
カラ・ホト

カラ・ホト(Khara-Khoto)は内蒙古自治区アルシャー盟エジン旗にあるタングートの都市遺跡。かつて居延海のほとりに位置していた。西夏語"Eji Nai"を漢訳して「亦集乃」、中国語では「黒城」または「黒水城」と呼ばれる。カラ・ホトの名は中古モンゴル語より。マルコ・ポーロの『東方見聞録』に現れる「エチナ」に比定されている。
==歴史==
カラ・ホトの歴史は1032年に遡り、11世紀に交易で栄えた西夏の中心都市であった。高さ9.1メートル、厚さ3.7メートルの城壁に囲まれ、東西421メートル、南北374メートルの囲郭都市であった。カラ・ホトが最初に落城したのは1226年モンゴル帝国チンギス・ハンによって〔であるが、落城後もモンゴルの宗主権のもと、繁栄を続けた。フビライ治世下では西夏時代の3倍にまで都市は拡張されていた。元朝15代皇帝トゴン・テムル(順帝)は大都を追われたあとこの地に潜伏した。カラコルム上都クムルに通じる交差路に位置していた。
マルコ・ポーロは『東方見聞録』でこの地を「エチナ」と呼んだ〔〔''The Travels of Marco Polo'', by Marco Polo , translated by Henry Yule. Book 1, Chapter 45.〕。
現地の伝承によれば1372年モンゴルの将軍カラ・バトル(黒い英雄の意)〔が明の軍勢に包囲され、水路を断たれた。カラ・バトルは運命を悟り家族共々自害した。その後、明軍の最終攻撃で守兵と住民は殲滅された。別の伝説ではカラ・バトルは城壁北西の抜け道から脱出したといい、遺跡には馬一頭通れるだけの抜け道が現在も残されている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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