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カール・フリードリヒ・ヒエロニュムス・フォン・ミュンヒハウゼン : ミニ英和和英辞書
カール・フリードリヒ・ヒエロニュムス・フォン・ミュンヒハウゼン[かー]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

カー : [かー]
 【名詞】 1. car 2. (n) car
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

カール・フリードリヒ・ヒエロニュムス・フォン・ミュンヒハウゼン ( リダイレクト:ミュンヒハウゼン男爵 ) : ウィキペディア日本語版
ミュンヒハウゼン男爵[みゅんひはうぜんだんしゃく]

ミュンヒハウゼン男爵(ミュンヒハウゼンだんしゃく、 、〔ドイツ語における本来のつづりは„Münchhausen“だが、英語ではしばしば h を一文字省略し“Munchausen”と表記され、(マンチャウゼン)と発音される。また、「マンチョーゼン」とカタカナ表記されることもある。〕)は、奇想天外な物語として知られる『ほら吹き男爵の冒険』の主人公である。『ほら吹き男爵の冒険』の原型は、実在の人物である18世紀ドイツ貴族ミュンヒハウゼン男爵カール・フリードリヒ・ヒエロニュムスが周囲に語った自身の冒険談ある。
本項ではほら吹き男爵ことミュンヒハウゼン男爵にまつわる史実と創作をともに扱うが、混乱を避けるため、史実とされる部分では称号を省きミュンヒハウゼンと表記し、創作とされる部分ではミュンヒハウゼン男爵と表記する。
== 実像 ==

ミュンヒハウゼン男爵カール・フリードリヒ・ヒエロニュムス(、1720年5月11日 - 1797年2月22日)は、18世紀ドイツ貴族である。現在のニーダーザクセン州の街ボーデンヴェルダーでミュンヒハウゼン家の第5子として生まれる。15歳のとき、ブラウンシュヴァイク公家に小姓として出仕した。
ロシアに移っていたブラウンシュヴァイク公子アントン・ウルリヒは、死亡した小姓の補充を実家に求めた。1737年、ミュンヒハウゼンはアントン・ウルリヒに仕えるためロシアに渡るが、1739年にアントン・ウルリヒの元を去り、バイロン公爵夫人の求めに応じてロシア軍騎兵少尉に任官した。
アントン・ウルリヒは1739年にアンナ・レオポルドヴナと結婚し、大元帥に就任する。1740年、アンナは息子のイヴァン6世を擁して摂政に就任する。この政変の余波で、ミュンヒハウゼンは中尉に昇進した。リガに駐屯していたが、1740年および1741年の対オスマン帝国戦には参加している。
1741年12月、政変によりイヴァン6世が廃され、アントン・ウルリヒはアンナとともに幽閉された。ミュンヒハウゼンはその2年前にアントン・ウルリヒの元を去っていたため、追及から免れた。1744年リヴォニア近郊の町ペルニエルで判事の娘ヤコビン・フォン・デュンテンと結婚する。
1750年には大尉に昇進する。休暇を取り、妻を伴ってボーデンヴェルダーに帰省した。しかし母が死に、また2人の兄が戦死して、ヒエロニュムスがミュンヒハウゼン家を継ぐことになったため、ロシアに戻ることはなかった。1754年、ロシア軍から除籍される。
ボーデンヴェルダーでのミュンヒハウゼンは機知に富んだ話術で広く評判を集めたが、同時に実務的な面については誠実な人物とも評されていた。妻に先立たれた後、1794年に再婚したが、不和から離婚に至っている。1797年に没した。子供はなかったが、カリーニングラード(旧:ケーニヒスベルク)には「ミュンヒハウゼンの末裔たち」というクラブがあり、2005年にはミュンヒハウゼンの像が建てられた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ミュンヒハウゼン男爵」の詳細全文を読む




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