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フレデリック・カールトン・ルイス(Frederick Carlton "Carl" Lewis, 1961年7月1日 - )は、アメリカ合衆国の男子元陸上競技選手。 身長188cm・体重88kgの体躯を駆って、国際陸上競技連盟の世界順位に初めて載った1979年から1996年のオリンピック終了までに、10のオリンピックメダル(うち9つが金メダル)と10の世界選手権メダル(うち8つが金メダル)を獲得した。 == 経歴 == アラバマ州バーミングハムに生まれニュージャージー州で育つ。 1983年の第1回世界陸上競技選手権大会・ヘルシンキ大会で、100m、走幅跳、4×100mリレーの3種目を制覇。初のメジャータイトルを獲得し、陸上競技界のスターの地位を確立する。 1984年のロサンゼルスオリンピックで、100m、200m、走幅跳、男子4×100メートルリレーの4種目にエントリーし、全種目で金メダルを獲得した。これは1936年のジェシー・オーエンスの偉業に並ぶものであった。 1987年の世界陸上競技選手権大会・ローマ大会では、4年前のヘルシンキ大会と同じ、100メートル、走幅跳、4×100メートルリレーの3種目を制する。 1988年のソウルオリンピックの選考会では、ドーピング検査で興奮剤に陽性反応が出てしまい、出場停止になるところであったが、最終的に出場を許可される。この時検出されたのはエフェドリン(感冒薬の成分)など。だが、この関連で一部から運動能力向上のドーピングを疑われることになり、現在は反ドーピング派である〔選手たちに反ドーピング運動を呼びかけるカール・ルイス氏 〕。100mでのベン・ジョンソンとの対決が注目を集めたが、決勝ではジョンソンの後塵を拝する。だが、レース後のドーピング検査でジョンソンの金メダルが剥奪され、ルイスが金メダルを獲得した〔特集「疾風のごとく 100m9秒台」 時事ドットコム〕。また、走幅跳は制したものの、200メートルでは2位となり、生涯唯一のオリンピック銀メダルを獲得する。4×100mリレーは、ルイスが出場しなかった準決勝でバトン中継でミスがあり失格に終わった。 この後、ルイスは個人短距離種目で次第に苦戦するようになっていたが、走幅跳では実力を誇示し続けていた。 1991年の世界陸上競技選手権大会・東京大会では、100mで当時の世界記録となる9秒86をマークして優勝し、人類で初めて100mを9秒8台で走った男となった(リロイ・バレルも同じタイミングで9秒88をマークしている)。走幅跳ではマイク・パウエルとの激闘の末、世界記録をマークしたパウエルに次ぐ2位であった。なお、ルイスはこの大会で会心のジャンプを連発しており、追い風参考ながら世界記録(当時)を上回る8m91を跳び、また5回目に跳んだ8m87は公認記録における生涯ベストとなった。4×100mリレーも世界新記録で優勝した。 1992年のバルセロナオリンピックでは、走幅跳と男子4×100mリレーで金メダルを獲得。 男子4×100mリレーでは100m金メダルのリンフォード・クリスティとのアンカー対決があったが、アメリカがリードしていた事もありルイスの圧勝であった。 1996年のアトランタオリンピックでは、ルイスは35歳となっていたが、走幅跳で金メダルを獲得し、オリンピック個人種目4連覇の偉業を達成した(2010年現在、夏冬すべてのオリンピック競技を通じて、個人でオリンピック4連覇を成し遂げたのはルイスと男子円盤投のアル・オーターの2人だけである)。 1997年に競技を引退し、俳優に転身した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「カール・ルイス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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