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カーロイ1世(I. Károly)またはカーロイ・ローベルト(Károly Róbert, 1288年 ナポリ - 1342年7月16日 ヴィシェグラード)は、ハンガリー王(在位:1308年 - 1342年)。アンジュー=シチリア家出身で、父はナポリ王子カルロ・マルテッロ。ナポリ王カルロ2世の孫に当たる。イタリア名はカルロ・ロベルト・ダンジョ(Carlo Roberto d'Angiò)。 == 事跡 == === 即位まで === 父カルロ・マルテッロはハンガリー王イシュトヴァーン5世の娘マーリアを母としており、叔父ラースロー4世が1290年に暗殺された際には自身の王位継承を主張してアンドラーシュ3世の即位を認めず、教皇ニコラウス4世の承認も受けて名目上のハンガリー王を称していたが、アンドラーシュに先立って1295年に早世した。 カーロイ・ローベルトもまた父と同じく教皇ボニファティウス8世の承認の下に王位継承権を主張し、クロアチア王に選出されると、1300年にザグレブで戴冠した。1300年8月、ナポリからダルマチアへ渡り、1301年にアールパード朝最後の王アンドラーシュ3世が死去するとエステルゴムでハンガリー王即位を宣言した。しかし同年ボヘミアとポーランドの王ヴァーツラフ2世に敗れ、ハンガリー王位をその息子ヴァーツラフ3世に奪われた。ボニファティウス8世はカーロイ1世の敗退を懸念し、また1304年にブラチスラヴァの議会もカーロイ1世の支持を表明した。 一方、ヴァーツラフ3世は1305年に父王の死によりボヘミアとポーランドの王位を継ぐが、ハンガリー王位は放棄し、代わって下バイエルン公オットー3世が王位に就いた。カーロイ1世は1309年6月15日、ブダにてハンガリー王に即位したが、正規の王冠による戴冠でなかったため、正式に即位は認められなかった。敵対する貴族から正規の王冠を奪還し、ようやく1310年8月27日にセーケシュフェヘールヴァールにて戴冠、正式にハンガリー王となった。その後3年余り、カーロイ1世は反乱軍との戦いに明け暮れ、1312年6月15日にロザノヴツで大勝利を収め、ようやく全土を平定した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「カーロイ1世」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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