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ガリヤン(Gharyan)、ガルヤーンとも) ( ''Ġaryān'')は、リビア北西部の都市。ジャバル・アル・ガルビ県に属する。2007年まではガリヤン県の県都だった。トリポリタニアに属し、首都トリポリから南へ113km離れている。ガリヤン山の斜面に位置し、周囲には乾燥した高原が広がる。ナフサ山地東部に位置し、山地西部のナールートと並ぶナフサ山地の中心都市である。住民はベルベル人が多い。トリポリからの高速道路がガリヤン近郊まで通じており、ガリヤンで南へ直進しフェザーン地方のセブハに向かう道と、ナフサ山地上の諸都市を結んでナールートまで延びる道路が分岐する交通の要衝である。 ガリヤンはトリポリから南のフェザーンへのキャラバンがナフサ山地を越える地点にあり、古くから交易で栄えた。1884年、オスマン帝国はガリヤンに市長と市評議会を設置した〔Anderson, Lisa (1984) "Nineteenth-Century Reform in Ottoman Libya" ''International Journal of Middle East Studies,'' 16(3): pp. 325-348, p. 331〕。 20世紀初頭には、ガリヤンはイタリアの侵略に対する抵抗拠点のひとつとなった。1920年代には、イタリア人がトリポリとガリヤン近郊の村の間に長さ90kmの鉄道を敷設したが、第二次世界大戦中にイギリス軍によって破壊された。 ガリヤンはこの地方で生産されるイチジク、サフラン、穀物の集散地であり〔Anderson, Lisa (1984) "Nineteenth-Century Reform in Ottoman Libya" ''International Journal of Middle East Studies,'' 16(3): pp. 325-348, p. 333〕、これらの生産物は地元での消費用のほか、一部は輸出される。また、ガリヤンは陶器の生産地としても知られており、焼き物はガリヤンの名産品となっている。 ガリヤンには、かつてこの地方の住民が暮らしていた穴居住宅(ダモース)がいくつか残っている。これはベルベル人が夏の暑さと外敵を防ぐために建設したもので、深い縦穴を掘り、そのそこから横に穴を掘り進めて住居としたものであり、チュニジアのマトマタにあるものと類似している。 ==脚注== 〔 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ガリヤン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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