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ガルナーティー : ミニ英和和英辞書
ガルナーティー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ガルナーティー : ウィキペディア日本語版
ガルナーティー[ちょうおん]
アブー・ハーミド・ガルナーティーAbu Hamid Muhammad b. Abd Al-Rahman b. Sulayman al-Mazini al-Qaysi al-Gharnati, 1080年 - 1169年10月30日)は、イスラーム世界の学者・旅行者・驚異譚書作者。
1080年にイベリア半島グラナダに生まれ、1110年頃に同地を離れて北アフリカに滞在した。その後1117年にエジプトに入り、シリアを経由して1122年にバグダードに到着した後四年ほどを過ごした。1126年以降、カスピ海沿岸沿いにアルダビール、バクー、ダルバンドを経由して中央ユーラシアのステップ地域やハンガリーなどの東欧地域を巡り、1160年にメッカ巡礼を行った後バグダードに帰還した。彼はバグダード滞在中に自らが旅の中で経験した様々な驚異を記した『西方の驚異のいくつかを明らかにするもの』を著し、その後移住したモスルにおいても1162年に『理知の贈り物と驚異の精選』を著した。さらにアレッポに数年居住した後、ダマスクスに居を定め、1169年に同地で死亡した。
== 生涯と旅 ==
ガルナーティーは30歳前後であった1110年頃に、故郷を離れて東方への旅に出発し、イブン・ジュバイルイブン・バットゥータとは違い、その後も故郷に帰還することなく1169年にシリアのダマスクスで死亡した。不明の期間を除いても30年以上を異郷の地で過ごしたことになるが、彼が訪れた地についての記録が彼の著作の中に見られ、そこから彼の旅について再構成することができる。彼の旅の目的は明らかではないが、旅の初期には訪れた土地で学者に学問を学んでいたようであるので、イスラーム世界の学者にとっては一般的であった「知識の探求(タラブ・アルイルム)」のためのものであったとも考えられる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ガルナーティー」の詳細全文を読む




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