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キム・クリスターズ : ミニ英和和英辞書
キム・クリスターズ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

キム・クリスターズ ( リダイレクト:キム・クライシュテルス ) : ウィキペディア日本語版
キム・クライシュテルス[ちょうおん]

キム・クライシュテルスKim Clijsters, , 1983年6月8日 - )は、ベルギー・ビルゼン出身の女子プロテニス選手。WTAツアーで4大大会4勝を含むシングルス41勝、ダブルスで11勝を挙げた。クレイステルス、クライステルス、また英語風にクリスタース、クリスターズとも呼ばれる。
== 来歴 ==
父親のレオ・クライシュテルスは著名な元プロサッカー選手で、1986年1990年の2度ワールドカップベルギー代表選手として出場した経験を持つ。母親は体操選手で、妹のもプロテニス選手である(エルケは姉よりも早く引退しサッカー選手のイェーレ・ファン・ダンメと結婚している)。強力なフォアハンドを武器にするベースライン・プレーヤーで、ウィリアムズ姉妹にも引けをとらないパワーを備えた選手である。
1999年ウィンブルドンで4大大会にデビュー。予選を勝ち上がり、4回戦でシュテフィ・グラフに 2-6, 2-6 で敗れた。クライシュテルスはそれから2年後、2001年全仏オープンで頭角を現した。準決勝で1歳年上のジュスティーヌ・エナンとの「ベルギー対決」を制し、この国のテニス選手として初の4大大会決勝進出を果たす。その決勝戦ではジェニファー・カプリアティに 6-1, 4-6, 10-12 で敗れて準優勝になった。続くウィンブルドン選手権ではエナンが決勝進出を果たし、ベルギー勢は2人揃って世界トップ10に定着した。
2003年全仏オープンでテニス史上初の「ベルギー対決」の決勝を実現させるが、ライバルのジュスティーヌ・エナン=アーデンに敗れて大会2度目の準優勝になる。同年の全米オープン2004年全豪オープンでも決勝でエナン=アーデンに敗れ、「ベルギー対決の決勝」で3連敗を喫した。
2004年5月以後、左手首を痛めて戦線離脱を余儀なくされたが、2005年3月の「インディアンウェルズ・マスターズ」と「マイアミ・マスターズ」で復活優勝。全米オープンでは準決勝でマリア・シャラポワを破り、2年ぶり2度目の決勝ではマリー・ピエルスを 6-3, 6-1 で圧倒した。それまでクライシュテルスは4大大会で4度の準優勝にとどまっていたが、5度目の決勝戦で宿願の初優勝を果たした。
2006年全豪オープンで、第2シードのクライシュテルスは準々決勝で当年度から現役復帰したマルチナ・ヒンギスを 6-3, 2-6, 6-4 で破るが、アメリ・モレスモとの準決勝で足首の捻挫のため最終第3セットを途中棄権した。8月のトーナメントで左手首の故障が再発したため、クライシュテルスは全米オープンの大会前年優勝者として出場できなかった。
ダブルスでは日本の杉山愛とペアを組んで活躍し、2001年ウィンブルドン選手権で女子ダブルス準優勝。しかしその後クライシュテルスが故障を理由に全米オープンと翌年の全豪オープン女子ダブルスを棄権し、いったんペアを解消した。2003年全豪オープンでコンビを復活させ、ベスト8に進出する。全仏オープンウィンブルドンで、当時の世界最強ペアであったビルヒニア・ルアノ・パスクアルスペイン)とパオラ・スアレスアルゼンチン)組に連勝し、4大大会のダブルスで2連続優勝を果たした。しかし続く全米オープンで再びクライシュテルスが棄権し、2人はペアを解消する。
2000年からオーストラリアの男子テニス選手、レイトン・ヒューイットと交際する。同年のウィンブルドンで2人のペアは混合ダブルスで準優勝した。それ以後はテニスのトーナメント中にお互いの試合を応援するようになり、2003年12月に婚約したが、2004年10月22日にクライシュテルスが公式ホームページで婚約解消を発表した。
キム・クライシュテルスは2007年5月6日、ポーランドワルシャワの「J&Sカップ」を最後に現役引退を表明した。この年も、1月にオーストラリアシドニーで行われた「シドニー国際」で優勝があった。J&Sカップの2回戦で、彼女はユリア・バクレンコウクライナ)に 6-7, 3-6 のストレートで敗れた。引退時の世界ランキングは4位。WTAツアーの選手が世界ランキングトップ10のままで現役を引退するのは、1999年8月に3位で現役を退いたシュテフィ・グラフ以来7人目となる。2か月後の7月13日、クライシュテルスはバスケットボール選手のと結婚し、2008年2月27日に長女を出産した。
2009年1月4日、父親のレオ・クライシュテルスが肺癌のため52歳で死去する。父親の死去から半年後、クライシュテルスは8月の「シンシナティ・マスターズ」で2年3か月ぶりの現役復帰をした。復帰第1戦では3回戦で当年度の全仏オープン優勝者スベトラーナ・クズネツォワを破る勝利を挙げ、ディナラ・サフィナとの準々決勝まで進出した。その後、彼女は全米オープンにも主催者推薦(ワイルドカード)で出場し、そこから勝ち上がって4年ぶり2度目の優勝を決めた。決勝戦では第9シードのキャロライン・ウォズニアッキデンマーク)を 7-5, 6-3 のストレートで退けた。
2010年9月11日、全米オープンの決勝で、クライシュテルスは 6-2, 6-1 でベラ・ズボナレワにストレート勝ちし、2年連続3度目の優勝を果たした。11月のWTAツアー選手権でも世界ランキング1位のキャロライン・ウォズニアッキに 6-3, 5-7, 6-3 で勝利して、7年ぶり3度目の優勝を果たし、ツアー通算40勝目を挙げた。
2011年1月29日、全豪オープンの決勝で、アジア人初となるグランドスラム決勝に進出した中国の李娜に 3-6, 6-3, 6-3 の逆転で勝利し初優勝した。グランドスラムでは4勝目である。2月14日には4年ぶりに世界ランキング1位に復帰した。しかしその後は故障に悩みウィンブルドンや2連覇中であった全米オープンを欠場した。
2012年、前年優勝した全豪オープンでは、準決勝でビクトリア・アザレンカに 4-6, 6-1, 3-6 で敗退した。5月に全米オープンを最後に2度目の現役引退をすることを発表した。7月のロンドン五輪で最初で最後のオリンピックに出場した。3回戦でアナ・イバノビッチに 6-3, 6-4 で勝利しベスト8に進出した。準々決勝ではマリア・シャラポワに 2-6, 5-7 で敗れた。そして8月の全米オープンは第23シードで臨むも、2回戦でイギリスの新鋭、ローラ・ロブソンに 6-7(4), 6-7(5) で敗北した。同大会ではダブルス、混合ダブルスでもエントリーしたが、それぞれ1回戦、2回戦で敗退し、現役生活にピリオドが打たれた。
2013年9月に第2子の長男を出産した。2015年よりアントワープで1年のみ開催されていたBNPパリバ・フォルティス・ダイヤモンド・ゲームスのトーナメントディレクターを務めていた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「キム・クライシュテルス」の詳細全文を読む




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