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キングスシアター () はアイルランドで生産され、イギリス・UAEで調教を受けた競走馬。イギリス、アイルランド、フランス、アメリカ、イタリアで走り通算17戦5勝。1994年にキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスを勝ち、同年のカルティエ賞最優秀3歳牡馬を受賞。現役引退後種牡馬となった。 ※文中の馬齢は当時の日本で一般的であった数え年ではなく、現在使用されている方法に換算して表記する。 == 戦績 == シェイク・モハメドのゴドルフィンの持ち馬として、2歳時の1993年にデビュー。 2戦目から3連勝し、10月23日にG1レーシングポストトロフィー〔ドンカスター競馬場で行われるイギリスの2歳王者決定戦(芝8ハロン)で、日本でいうと朝日杯フューチュリティステークスに相当する。〕を制した。 2歳時の4戦は、騎手はいずれもW.ライアンであった。 明け3歳となった1994年からは騎手がマイケル・キネーンとなり、G3クレイヴァンステークスを勝つ。 本命に挙げられたクラシック第一戦2000ギニーは距離不足もあって勝ったミスターベイリーズから7馬身差の13着(23頭立て)と惨敗。 続いて出走したエプソムダービー前哨戦・ダンテステークスもエルハーブの4着に終わるが、評価を落としたエプソムダービーではエルハーブから2馬身4分の1差の2着。 さらにアイリッシュダービーに出走。ここでも牝馬バランシーンから4馬身1/2離されたものも2着を確保。 そして、春の大一番キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスで古馬に初挑戦すると、武豊騎乗の4歳馬ホワイトマズルに1馬身4分の1差をつけて優勝〔エズードの騎手ウォルター・スウィンバーンがスタート直後に落馬。エズードはそのままいわゆる「カラ馬」で走り続け、直線で内に刺さって他馬の進路を妨害。これが勝敗の綾になったとも言われている。なお、エズードはカラ馬のまま先頭で入線している(記録上は競走中止)。〕。 さらに年内は2戦し、いずれも本命に推されるが、チャンピオンステークスはエズードの3着、凱旋門賞はカーネギーの10着に終わるが、「キング・ジョージ」の勝利が評価されてクラシックレースの勝者をおさえてこの年のカルティエ賞最優秀3歳牡馬に選出された。 4歳となった1995年は、この年よりゴドルフィンの専属調教師となったサイード・ビン・スルールの厩舎に移籍。 アメリカで芝のG1レースに出走するが、3回出走して8着、3着、7着に終わる。5歳となった1996年にはイギリス、イタリアで各1戦するが勝利は挙げられず、ミラノ大賞典3着を最後に現役を引退した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「キングスシアター」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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